かなり前から、時間にたいしての感覚が
なんだか一般的なものとはちがうなあーと
思っていました。
つまりそれは、
形式的に定めた数値であって
私的な認知とはまたちょっと異なるもので
体感覚としての
時間、
や
年月、
が
みんなが読めるように決めた単位とは
一致しないのでは?
とずっとかんじていた。
楽しいときの1日が
あっというまに過ぎるとか
苦手なことをやってる時間が
永遠に感じるとか
そういう、よくきく雰囲気を思えば
まあ当たり前といえば当たり前なんだけど。
それとはまた違うところで
時空間にさわっているようなかんじがするのね。
これって他の人も
何かの拍子でおもうのかもしれないけど
私の場合はなんというか、
大昔の職業柄からなのか
「保持しておく」
ことに、
かなり意識がおかれているかんじがする。
錬金術師であったときから
素材の保管は大事なことでした。
劣化してしまうと、
重要な資料としての価値がなくなってしまう。
(その変化、劣化などの経過をみるためのものは、また別の個体でもって執り行う。保管用と、実験用。)
だからさ、
いかに「そのままの状態」を保つか?
っていうのも、求められた技術だった。
で、保つ、あるいは
変化を最小限にとどめるためには
時間をとめておくことが必要だった。
完全な停止、もしくは
限りなく、一秒を引き伸ばす。
それを一年、数百年にする。
これって時空間の操作だったんだよね。
それをみているひとにとっては、
永遠に変わることのない
朽ち果てることのない
まるで標本。
(もちろん、現在の標本にするテクニックとは
またちがった術の類いなので
ほんとうに時が止まっている状態。)
太古の昔から受け継がれてきたものや
残されたものを後継していくために
ほんとうに様々なものを固体にした。
(留めるには、固めるのがよい。)
そんなときの記憶なのか、
癖なのか?わからないけれど
私のまわりの時間はだいたい
時計で計るそれよりも
かなりペースが遅いように思う。
時々、この世界にもどってくると
まるで浦島太郎のような気分になる。
これっておかしいのかな?
私ってへんなのかな?
とずっと思っていたんだけど
そういう理由があるのかも、と思ってみたら
なんだか納得した。
なるほどなー。って。
だから今でも、
時がとまった時が馴染み深い。
瓶に詰められた
誰かに採集されたものや
綺麗に並べられたものや
情報がきちんと書かれたラベルや
形や色で分けられた素材の姿とか
そんなものが集まったやつをみると
すごく安心する心地になる。
それで、
私って
そういうのがとっても得意なのですね。
錬金術師たちはみんな
時空を操ることができたのか?というと
それはわからんのですけども。
いまの現実の生活において
そういった時空操作が
なんの役にたつか?というと
それもまた特に役には立たないんだけども。
でも、
こういう感覚があることを
「そりゃそうよねえ。」
と思えただけでも、
ちょっと安心するものでして。
・・・という、
時間はのびたりちぢんだりするよ!
っていうおはなし。
みなさんの中にも、もしかしたら
同じような方がいらっしゃるかもですね。
錬金術師
