
突然ですが
あなたは憎まれっ子ですか?
どちらかというと良い人ですか?
先日家族で実家に帰ると
相変わらずマイペースな母ですが。
主人が「お母ちゃん丸くなったなぁ~」と申しておりました。
たしかに(^_^;)昔の母は人を見れば喧嘩をしており
もっと毒々しく、いつも人の悪口を言っている日常。
イライラとして棘を立たせて
生きておったような気がします。
丸くなった原因はたぶん運勢もそうだし、
あとは孫娘の存在という効果もあるのでしょう。
なんだか憎まれっ子ではない母の背中が小さく見えます。
昔、私は早く死にたいと思っていました。
とにかく苦しくて。頑張っても頑張っても、出口らしき光も見えず。何に縛られて苦しんでいたのかわからないけど、あらゆるものが突き刺さり、ただひたすら苦痛にのたうちまわっておりました。
死ね。
そう自分の身体に心に呟いていた時期もしょっちゅう。
わー不健康。年明けからごめんなさい(^o^;)
でも死ねませんでした。
何のために
生まれてきたのだろう?
そう思ったときに…
いやー死にたくないわ。
そう思った時。人生を惜しむくらい幸せな時。それが私の死の時期になるのではないか。
そう考えた時に
大きな納得をしたのであります。
死にたいのなら?
早く楽になりたいのなら?
何としても
幸せにならねば。
そう思い始めたのです。
で、、、良い子はやめました。
良い子であっても幸せにはなれなかったから。
自分を自分らしく外に出す。
この作業というのは想像以上にもがきます。
なんせ、力がなければ出る杭は打たれます。
知識も、力も、あらゆる強さを取り入れなければ
この社会では自分でいることができないのです。
だから頑張った。
早く楽になるために。
どうせ死ぬなら。
自分らしく死にましょう。
それが私の
生に対しての回帰発端です。
20歳後半に思い付いたこの思想。
30代はあがきっぱなしの10年でした。
しかし40歳を超えた今。
振り返れば少しずつ、、、
自分が掲げた目標境地に進んでいます。
理想の死には遠いですが、
納得の死には近づいています。
運勢が悪い時の私のあがきよう(笑)
凄まじいものでした。
またちょくちょく機会があればお話をします。
憎まれっ子、世にはばかる。
良い人は皆、、、
わりと早くに死んでしまいます。
真面目で、誠実で、良い人で。
例に出して悪いのですが、私が働くデイサービスにも103歳のお婆ちゃんがいます。いやいや憎まれっ子を通り越して、自我自由三昧の毎日。もう103年の生涯を通して今があるわけで。どんな憎まれ口も可愛いものです。まだ死期を感じる臭いがありません(笑)ちょっとある意味、羨ましくも。
そして母が憎まれっ子ではなく、まともなことを言ったりすると少し不安で寂しいもの。
なんとなく。少しずつではありますが、、、別れの時期が近付いているのではないかと漠然と…。(まだ若いのですがね、方向性がそうだという意味です)
こうなったら母には
もうひと暴れしてほしいものです。
昔なら受け止められなかったですが。
今の私なら
笑って受け止めて
やろうじゃないの。
そう思えるだろうことが、
ちょっと不思議な感覚でした。
可愛い憎まれっ子になる人生も
そう悪くないものです。

