神戸市の介護施設職員が捕まりましたね。
ちちんぷいぷいで事件について短い討論をしていましたが、結論はもちろん出ず。
私は、、、看護師ですが(今は子供が小さいので今年から占いのみです)、、、実は病院好みではありません。
救命とか、ICUとか、経験もしました。
しかし、延命に対して 死ぬと負け とか 助ける とか 守る とか そいういった感覚にエキサイティングできる性分ではありませんでした。
だから 在宅での看取り (余命わずかな人を自宅で看取る) をおもに力を入れて仕事を行ってきました。
いかに生きるか。も大切ですが、 いかに死ぬか。も とても重要なことです。
だから死生観について、いつも考えを固定しないように努力しています。
さて、福祉施設にも結構いました。
虐待があったかなかったか。といえば、、、
どこから言うのか 虐待かという問題を絡めると難しいですが、
まあ、ありました。
いじめがない学校 人生において、いじめを体験または目撃したことがない人が ほとんどないように
ほぼ同じ確率で どこにおいても 虐待 または 虐待に似たようなことは あるはずです。
「うるせえ」といって、枕を老人に向かって投げつけた
金銭をねだる(冗談を含めて)職員
夜勤明けると痣ができていた など
申告と証拠があれば、確実に謝罪と処分に持ち込めますが、ほとんどは不明のまま気をつけよう。
という会議の後、上司が報告書をあげ、いい施設であればそれが市に報告されるでしょう。
私は、、上司に報告書をあげていましたが、それを上司がどうしたかまでは突き止められません。
そんな責任も義務も 一職員には 与えられていません。
福祉施設は 3つ 働かせてもらいましたが、 程度の差はあれど すべてありました。
これは現実なのです。
こんな現実のネタばらしは山ほどあります。
人間が人間を見るということに対して、問題行為がないといえば嘘になります。
どうすれば良いか。 どうすれば そんな施設にしないようにできるか。
将来入らずにいられるか。
簡単に言えるくらいなら、こんな問題が浮遊したりしません。
ただ、私がたどりついた答えは 教育 です。
人事も 担当した経験が多かった私は やはり そうとしか言えません。
ほかのテーマにもあげましたが、、、東大や京大や、、、っていう話ではありません。
人間性です。
人間としての情愛みたいなものを持っている人間は 信頼されます。
利用者と関係を築けます。
名門卒の医師だって同じです。人柄のよい医師は人徳、人望により人に安心感を与えます。
白い巨塔は まさしく 現実です。 山崎豊子はすごいと思いましたもん。
病院を原作とした本やドラマで あそこまで きちんと現実を再現してくれたものはありませんでした。
話それましたが (また長くなる…)
しかし、困ったことに 人望や人徳を持つ 医療や介護スタッフの良さを見分けられないのが
上司=会社 と 家族です。
一生懸命なわりに見る目がありません。
そういう人こそ 学歴 職歴 主義です。
仕事ぶり全てを見るのは無理ですが、、、
私が見る中で 情愛をもって 真摯に 向き合っているスタッフ。
たとえば、一見、
口は悪い、いつも怒っているようにみえる無愛想な人、上にゴマをすれない人、協調性がない、、
素行が悪そう、、育ちが悪そう、、学歴ないし、、言ってること支離滅裂(言葉を知らないため)などなど。
でも、よく見ると、
仕事は絶対に手を抜かない。 目やに一つ残さないように顔を拭く、身体を拭く人、話しかける人。
必ず顔色に気付く。排泄物の変化にいち早く気付く。ご飯を食べている様子で好き嫌いに気付く。
得意なことに気付く、、、
利用者は 口がきけない、意思を伝えられない 人も たくさん います。
そういう人たちの救いになる人たちは よく見て、気付いてくれる人です。
利用者さまたちは、そういう人たちの前では安心した表情をしています。
看護師として働いている私たちも、、何度もその気付きに学び、助けられるのです。
介護は給料も少なく、立場も弱いです。
けっして苦労なくしてつける仕事ではないですが、私は素晴らしい仕事だと思っています。
医療では 助ける ということが 目標のひとくくりになってしまいがちです。
個人の必要とするものに合わせてケアをすると言えども 病気の管理、改善とともにケアをするには
時間的に限度があります。
けれど福祉はそこに重視できます。
その人がどんな生活を望んでいるか、どんな終生を送りたいのかを考えて取り組むことができます。
病気は 医療の仕事だと 割り切って 生活ケアにあたれます。
老人福祉施設は その人の人生の最後にかかわれる仕事です。
どんな苦労があっても
最後にその人の人生が 優しさと愛に包まれたものであったら 笑顔に溢れていたら
美味しいものを感じられたなら 少しは安らかに旅立てると 思うのです。
介護は 最後の出会いの人 です。
こう考えると 自分たちがどれだけ誇り高き仕事をしているか 考えることができると思います。
綺麗ごとに聞こえるかもしれません。主人も介護士ですが、家族を養っていけないのに誇りなどもてないよ。
とも言われます。
でも私は素晴らしい仕事だと思います。主人は、仕事が好きだと言います。楽しいと言います。
給料うんぬん など 言えません(笑)
人間は 好きな仕事に つくことが 幸せの遥かな許容を占めるからです。
私は心から尊敬しています。なんとかやりくりしますとも。
しかし、悲しいかな 上記のようなことを 教える上司または会社は ほとんどありませんでした。
介護職員たちが 医療に比べて そういった 教育に触れることが できていないのが現状です。
さきほど、述べた利点を差し引けば 介護という仕事は これほど辛いことはありません。
金銭も、地位も、名誉も、守るべき生活も 何が何だか分からなくなるかもしれません。
身体的にも体力的にも 生活そのものも 持たないでしょう。
やや奴隷状態に等しいかもしれません。
それでも仕事なんだから。 といった家族がいましたが、
現状を知らずしての意見は 時に 現実を あおり 虐待という結果さえ生みます。
お金をはらっているんだから。という言い分もまことに正しいのですが、、、
ある施設の「家族会」で 介護職員全体の失態ぶりが やり玉にあがったことがありました。
あまりにひどい。教育がなっていない。素行の悪いものを雇っているなどなど。
会社への苦情です。
言われるものは すべて ごもっともでした。
その中でひとりのご家族が、
「わたしは…他人様が他人様のオムツを変えるってことは凄いなあって思います。私だったら…
仕事でもきっと真似はできません。
それをしていただいているだけでも頭が下がる思いでいっぱいです」
あの状況での この言葉は 感慨深きものだったはずです。
ほかのご家族も もちろん思っているのです。でも口に出したのはその方だけでした。
教育とはなんでしょうか。子供を育てながら 私も正直苦しくて仕方ありません。
けれど、同じ目線で できたことを喜び、 失敗したことを悔やみ悲しみ、励ましあって
明日を信じること。。。
そんなことなのかもしれない。 と最近思い始めたところです。
ついつい身内では思いのままに動かしたくなります。
それを お金をはらっている側にも 同じような感情が起きてしまうのではないかと思います。
日常を一緒に成長する気持ち。焦ってはいけない気持ち。
急激に増加する高齢社会に教育が追い付いていないこの現状を もうちょっと 一緒になって悲壮に
考えてほしいなって思います。
虐待はあってはならないことです。
でも、、人が人を見るうえで、、失くしてはならないことがあるように。
人が人を第三者に見てもらう上で、失くしてはならないこともあると思うのです。
そして、もちろん与えられる教育だけを待つのではなく、働く職員たちも堕落したように 自分たちの
仕事を吐き捨てて考えないようにしてもらいたいものです。
今はネット社会です。図書館もあります。先輩後輩、医療職員 一帯を巻き込んで 学ぶべき場所は
探せばたくさんあります。心を英気を養うのです。どんな仕事でも 学びをやめれば惰性になります。
教育を求める訴えをし続けましょう。
福祉教育は かかわる全ての人々に支えられているのです。