インタビューで長友選手が泣いた。
何の涙だったのか考えてみた。
悔し涙というのはわかるけど、
誰のために泣いたのだろう。
表現者は、ある地点まで到達すると、
自分のために表現していると伸びなくなる。
作家もしかりだ。
故、山崎豊子さんは、新聞記者だった頃、医療現場の不条理をただすために作家になった。たまたま文を書くことに長けていたから、それを使わない手はない、と思ったとインタビュー記事に書いてあった。
つまり自己表現ではない。
自己の能力を借りるだけなのだ。社会をよくしなければという使命感が九割だ。間違っても自分の書いた文に酔わないと思う。客観的に認めてはいるのだろうけれど。
話がそれたが、日本の未来のサッカー界のため、子どもたちのため、と、よくいうが、子どもを含めた今いる日本人に勇気を与えられなかったことは口惜しい。
長友選手の涙が、自分のために泣いているのではないといい。自分のために泣いていると、本人ももう伸びしろがない。
自分のために泣くのは子どもまでだ。
すいません、ちょっといいですか、と席をたって泣いたのは、自分のためな気がしてならない。
自分の悔しさのために。
いや、ダメだ席をたつな、と言ったら、彼はきっとびっくりしたと思う。
おそらくいつのまにか 、自分の夢のために戦っていたからだ。
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