
1187年
義経が平泉に戻った。
藤原秀衡「お前が日の本一の英雄になった。ようやった、九郎」
その情報は頼朝にも伝わった。
奥州平泉が、鎌倉の最大の脅威となった。
万寿が大姫にセミの抜け殻を見せ、木曽義高のことをまた思い出し落ち込んでしまった。
政子から聞いた頼朝「姫を入内させる」
秀衡が、泰衡を後継者に指名した。
国衡には「とく(母)を嫁に取れ」
義経には「そなたが大将軍だ」
皆に「九郎の元で力を合わせよ」と言って、最期の時を迎えた。
義時は平泉に行くことを志願した。
頼朝「任せる。生かして連れて帰るな。災いの根を残してはならぬ。決して直に手を下してはならぬ。藤原の2人は仲が悪い、2人の間をさけ。九郎を討ったことにして、平泉に攻め込む。この日本から鎌倉の敵を一掃する。やらねば戦は終わらぬ」
梶原から言われた善児がお供をすることになった。
義時は平泉に着き、義経を連れて帰りたいと伝えたが、泰衡は断った。
「ご安心ください。鎌倉殿に刃向かう気持ちはございません」
義時は義経に「あれほど奥州へ行くなと申したではないですか」
義経「案ずるな。平泉に手を出してみろ。その時は鎌倉が灰になるまで戦ってみせる、と兄に伝えろ」
里も一緒に来ていた。
義時は善児に「(義経が)百姓の手なのは、本当か?」と聞いたところ、善児は「爪の間にも土が見えました。あれは百姓の手です。やっちまいましょうか」
義時「余計なことはするな」
義時は義経に「静のことは残念でした。えっご存知ないんですか?」
義経「話してみろ」
ここから義時が説明した。
父の手勢に捕まり、三善は静だとにらんだ。
頼朝「生まれて来た子が男の子だったら由比ヶ浜に沈めよ」
「私は静ではありません」と言っていたものの、最後には「うちは静御前でございます」
大姫「これ以上人が死ぬのを見るのはいや」
義時「こうなったらわざと下手に舞うしかない。偽物のフリをしてください」
静は下手な踊りをしていたが、途中から「しづやしづ・・・」と歌い出した。
政子「女子(おなご)の覚悟です」
義経は一通り聞いて「あいつらしいな」
義時「お子は男でございました」善児に連れて行かれた。
美濃の遊女になっているかもと言う噂も伝えた。
義時「お伝えするべきではなかったでしょうか」
義経「いや、聞いておいて良かった」
泰衡は義時に「私は鎌倉殿に楯突くつもりはない」
義時「手は一つ。九郎殿の首を取り、鎌倉殿に送り届ける。それしか道はありません」
泰衡「だから私はあいつを平泉に入れたくなかったんだ」
義時「不意打ちに勝る手はございません」
六男の頼衡が「お前の魂胆はなんだ」怒鳴り、剣を抜いた。
善児が出て来て、一瞬で亡き者にした。
義時「泰衡殿、もう後には引けません」
義時は善児に「種は蒔いた。鎌倉に帰る」
義経は秀衡が起き上がった幻を見た。
里は義経に「ついて来たくなかった。畑仕事もイヤ。でも一つだけ嬉しいことがあった。静のこと。いい気味だわ」とボヤいた。
義経「そんなに静が憎いか」
里「京にいた時、襲われたでしょ。あの者たちを手引きしたのは私」
義経「兄の刺客ではなかったのか。お前が呼んだのか」怒りのあまり、里を殺めてしまった。
義時は弁慶に呼び止められ、地下から館に連れて来られた。
義経「私はあれから大人になった。あれは芝居だ。兄上に対する憎しみを募らせるため」
義経は弁慶に「武蔵坊、世話になった」
弁慶「やめてください」
弁慶は外に出て、泰衡軍を迎え撃った。
義経「あいつがしばらく時を稼いでくれる。自分の手を汚さず泰衡に手を出させる。そこまで私が憎いのか。ここに来てから、いかに鎌倉を攻めるか考えた。北と海から攻める」
義時「すばらしい。ただ、三浦から丸見えです」
義経「三浦を見方につけておく」
義時「恐れ入りました」
義経「鎌倉に届けて欲しい。梶原景時、あの者ならきっとこの策の見事さをわかってくれるはずじゃ。行っていいぞ。来た道を通っていけ」
義時は鎌倉に戻った。
頼朝「ご苦労であった」
梶原は書面を見ながら「この通り攻められたら、鎌倉は間違いなく滅びていただろう」
義経の首が鎌倉に届けられた。
頼朝「九郎、よう頑張ったなあ。話してくれ。どのようにして、平家を討ち果たしたのか。お前の口から聞きたいのだ」一人で壺を抱えながら、号泣した。
前回の「鎌倉殿の13人」の記事はこちら(2022年5月22日)
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では、明日。