
義時は、八重にお見送りされ出かけた。
義時「正式に夫婦となることを、鎌倉殿と御台所に報告したい」
嫡男の木曽義高が、大姫のいいなずけという名目で鎌倉に入った。
政子は、イケメンをすっかり気に入った。
「よろしいのではありませんか」
1183年5月、平家の追討軍が、義仲のところに迫っていた。
倶利伽羅峠で平家軍を撃退し勢いに乗った義仲は、上洛した。
義仲を恐れた平宗盛は、後白河法皇を連れて都を落ち延びようとしたが、後白河はいなかった。
義仲の活躍に焦る頼朝「義仲に先を越された」
大江「しばらくは様子を見ましょう」
後白河は木曽義仲に「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還。帝が受け継いで来られた宝物である」
義仲は、三種の神器の価値がわからず、後白河らから不信感を抱かれた。
義高はセミの抜け殻を集めるのが好きだった。
勲功第一は頼朝、第二は義仲、第三は行家だった。
頼朝は、源氏の棟梁としてのイメージを印象付けていた。
それを聞いた義仲の部下が「これでは兵たちが収まりませぬ」
義仲が行家を連れて、後白河に談判した。
後白河「仕方ない、頼朝への恩賞はわすれる」
頼朝の勲功第一はご破算になった。
京では、木曽殿の乱暴ぶりが目立っていて、三善康信も被害を受けた。
木曽も行家も我が兵では無いと言う。
後白河は、孫で4歳の後鳥羽天皇を即位させた。
「平家を滅ぼし、三種の神器を取り戻せ」
兵力が足りない義仲は「頼朝を待ってから」
後白河「今すぐ立て。今すぐじゃ」
義仲は備中で苦戦を強いられた。
頼朝はこの時とばかり後白河法皇に接近し、上洛の遅れを詫びて、多大な引き出物を贈った。
後白河は返礼として、頼朝の長年にわたる流罪を解き、官位を戻した。そればかりか院宣を出して、東海道・東大和道の軍事支配権を認めた。
義仲は京へ戻った。
平家と密かに和睦を結んだという噂が流れていた。
義仲は平知康・鼓判官の制止を振り切って院御所に押し入った。
この乱行を後白河法皇「謀反じゃ、謀反じゃ」
頼朝は文を見て「出陣じゃ」
文覚はサボって漁に行っていた。
御家人たちは、源氏同士の争いであると、戦に出るのを拒んだ。
頼朝「大将は九郎に決めてある。信用できるのは最後は身内よ」
義経は張り切った。
「ひと月のうちに平家を滅ぼしてみせます」
義高は義時に「この戦に義はございますか」
義時は何も言えなかった。
政子は義高への恩赦をせがんだ「大姫のためにも、どうか」
頼朝「考えておこう」
三浦館では岡崎、土肥、千葉たちが「鎌倉殿に付いて行く気はない。仲間に加わってくれ」
三浦義澄「北条は助けてやってくれ。それが条件だ」
千葉たちは条件をのんだ。
義時「このままでは鎌倉がバラバラになってしまう」
八重「小四郎殿にしかできない働きがあるはずです」
義時「この子が大人になる頃には、何かが変わっているだろうか」と八重の腹をなでた。
義時は時政に相談した。
時政「所領を与えてやるって言えば付いてくるんじゃねえのか」
10月8日に義経の先発隊が鎌倉を発つ。
頼朝「存分に腕を振るって参れ。2人で語ったことはなかったな。戦から戻ったら語り尽くそう」
義経「九郎は戦って参ります」
頼朝「良き弟に恵まれて、わしは果報者じゃ」
義経は義高にセミの抜け殻を渡した。
義高は義時に「九郎殿が不憫でなりません。父が戦で負けるとは思えません」
御家人たちの反頼朝派の仲間に、和田義盛と梶原景時、文覚が加わった。
梶原は頼朝派のスパイだった。
反頼朝派に統率力のある者が加わると、頼朝に勝ち目はない。
広常がどちらに付くか注目された。
大江が義時に耳打ちした。
義時は広常に「誘いに乗ってやって欲しいのです。鎌倉殿のことは気になさらず、御家人たちの味方に」
こうして、鎌倉が2つに割れた。
前回の「鎌倉殿の13人」の記事はこちら(2022年4月10日)
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では、明日。