◆NHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人 第14回 「都の義仲」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。



義時は、八重にお見送りされ出かけた。
義時「正式に夫婦となることを、鎌倉殿と御台所に報告したい」

嫡男の木曽義高が、大姫のいいなずけという名目で鎌倉に入った。
政子は、イケメンをすっかり気に入った。
「よろしいのではありませんか」

1183年5月、平家の追討軍が、義仲のところに迫っていた。
倶利伽羅峠で平家軍を撃退し勢いに乗った義仲は、上洛した。

義仲を恐れた平宗盛は、後白河法皇を連れて都を落ち延びようとしたが、後白河はいなかった。
義仲の活躍に焦る頼朝「義仲に先を越された」
大江「しばらくは様子を見ましょう」

後白河は木曽義仲に「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還。帝が受け継いで来られた宝物である」
義仲は、三種の神器の価値がわからず、後白河らから不信感を抱かれた。

義高はセミの抜け殻を集めるのが好きだった。

勲功第一は頼朝、第二は義仲、第三は行家だった。
頼朝は、源氏の棟梁としてのイメージを印象付けていた。
それを聞いた義仲の部下が「これでは兵たちが収まりませぬ」
義仲が行家を連れて、後白河に談判した。
後白河「仕方ない、頼朝への恩賞はわすれる」
頼朝の勲功第一はご破算になった。

京では、木曽殿の乱暴ぶりが目立っていて、三善康信も被害を受けた。
木曽も行家も我が兵では無いと言う。

後白河は、孫で4歳の後鳥羽天皇を即位させた。
「平家を滅ぼし、三種の神器を取り戻せ」
兵力が足りない義仲は「頼朝を待ってから」
後白河「今すぐ立て。今すぐじゃ」
義仲は備中で苦戦を強いられた。
頼朝はこの時とばかり後白河法皇に接近し、上洛の遅れを詫びて、多大な引き出物を贈った。
後白河は返礼として、頼朝の長年にわたる流罪を解き、官位を戻した。そればかりか院宣を出して、東海道・東大和道の軍事支配権を認めた。

義仲は京へ戻った。
平家と密かに和睦を結んだという噂が流れていた。
義仲は平知康・鼓判官の制止を振り切って院御所に押し入った。
この乱行を後白河法皇「謀反じゃ、謀反じゃ」

頼朝は文を見て「出陣じゃ」
文覚はサボって漁に行っていた。
御家人たちは、源氏同士の争いであると、戦に出るのを拒んだ。

頼朝「大将は九郎に決めてある。信用できるのは最後は身内よ」
義経は張り切った。
「ひと月のうちに平家を滅ぼしてみせます」

義高は義時に「この戦に義はございますか」
義時は何も言えなかった。
政子は義高への恩赦をせがんだ「大姫のためにも、どうか」
頼朝「考えておこう」

三浦館では岡崎、土肥、千葉たちが「鎌倉殿に付いて行く気はない。仲間に加わってくれ」
三浦義澄「北条は助けてやってくれ。それが条件だ」
千葉たちは条件をのんだ。

義時「このままでは鎌倉がバラバラになってしまう」
八重「小四郎殿にしかできない働きがあるはずです」
義時「この子が大人になる頃には、何かが変わっているだろうか」と八重の腹をなでた。

義時は時政に相談した。
時政「所領を与えてやるって言えば付いてくるんじゃねえのか」

10月8日に義経の先発隊が鎌倉を発つ。
頼朝「存分に腕を振るって参れ。2人で語ったことはなかったな。戦から戻ったら語り尽くそう」
義経「九郎は戦って参ります」
頼朝「良き弟に恵まれて、わしは果報者じゃ」
義経は義高にセミの抜け殻を渡した。

義高は義時に「九郎殿が不憫でなりません。父が戦で負けるとは思えません」

御家人たちの反頼朝派の仲間に、和田義盛と梶原景時、文覚が加わった。
梶原は頼朝派のスパイだった。
反頼朝派に統率力のある者が加わると、頼朝に勝ち目はない。
広常がどちらに付くか注目された。
大江が義時に耳打ちした。
義時は広常に「誘いに乗ってやって欲しいのです。鎌倉殿のことは気になさらず、御家人たちの味方に」

こうして、鎌倉が2つに割れた。


前回の「鎌倉殿の13人」の記事はこちら(2022年4月10日)
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http://ameblo.mom/miyacar/entry-12736062797.html

では、明日。