◆五輪の厨房(NHK-BS より) | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。

▼写真AC:たくあんとくもりさん提供のフリー素材


開幕前も開幕してからも翻弄され続けたコロナ過のオリンピック、パラリンピック
選手村の食堂を追った800日の記録

晴海・選手村の居住棟の中央にメインダイニングホールがある。
床面積:約18000平方メートル
座席数:約3000席
期間限定の日本一大きな食堂である。

大会期間中この施設を利用するのは、200を超える地域と難民選手団の選手と関係者。
食数は80万食以上、さまざまなタイプの料理が取り揃えられる。
イスラム教徒向けのハラルメニュー
小麦のアレルギーに対応したウィズアウトグルテン
和食の代表・握り寿司も。

選手村食堂の心臓部・メインキッチン
ピーク時には1日45000食が調理される。
料理はビュッフェ形式で提供され、選手の目の前で調理されるものもある。
大会の2ヶ月間、食堂は24時間オープン。
そのためアルバイトを含めて延べ5200人のスタッフが運営に当たることになる。
開催が危ぶまれ、準備は予定よりも遅れている。
食堂運営のリーダーは紅林利弥・統括本部長。
今回、選手村の食堂を任されたのは、大手給食会社・エームサービス。
学校や病院、社員食堂などに全国で給食サービスを展開する国内大手の企業。
これまで長野五輪やサッカー日韓ワールドカップなど、さまざまな国際大会に携わってきた。
その実績を買われ2018年10月入札で運営を任されることが決まった。
「決まった時は、3秒うれしかったが「これからいばらの道がスタートするんだな」と言う気持ち。絶対に失敗出来ない。成功して当たり前。成功して当たり前のことをやらなければいけない」

2019年4月
社内プロジェクトチームが始動した。
正式決定の知らせが遅れたため、準備の時間は1年3ヶ月を切っていた。
全国7200人の社員の中で28人が集められた。
「8000人の工場給食が4倍来る。相手はアスリート。食事ができなかったら勝てない。
最初に取り組んだのが、メニューの開発。
選手村の総料理責任者・石井幸雄さん。
ホテルなどで20年勤めたのち、この会社に転職。
大人数向けの給食サービスをしてきた実績が買われた。
この日だけで50品作ると言う。
メニューはIOCからのリクエストと過去の大会を参考に作られる。
今回は700種類。
宗教上の戒律や食物アレルギーなどにも対応しなければならない。
夏場の大会のため、塩分補給にも気を使う。
選手が求めるのは、高タンパクで低カロリーな料理。
試作にはアスリートへの栄養指導の経験が豊富な管理栄養士も参加した。

1964年に行われた東京オリンピックには、伝説のシェフがいた。
全国から募集した100人の料理人を束ね、指揮した帝国ホテルのシェフ・村上信夫さん。
当時の日本ではまだ珍しかった西洋料理は、選手たちから大好評だったと伝えられている。
今回村上シェフと同じ役割を担うのが、石井さんである。

2019年10月下旬
大会組織委員会を招いての試食会。
日本の料理を牽引してきたメンバーがアドバイザーとして集まった。

選手村では、衛生上の理由でなま物が出せない。
代わりに、椎茸やミョウガを使った握り寿司が用意した。
その他に、北アフリカや中東の料理など、全部で21のテスとメニューが並んだ。
国賓の晩餐会などを担ってきた日本を代表する料理人が評価した。 
汁物の評判は良かった。
フランス料理の第一人者である中村勝宏さんから厳しい指摘
「はっきり言ってクスクスじゃない。どちらかと言うと、スムールにかぼちゃを入れただけ」
北アフリカ発祥のクスクスは、煮込んだスープとからめて食べるのが一般的。
石井さんはあえてかぼちゃと合わせた野菜料理として振る舞おうと考えていたが
中村さんは「クスクスは昔フランスの植民地では国民食みたいなもの。一般の人はよく食べる。あるべき姿をできるだけやってあげた方が丁寧かな」

「基本的にオリンピックの食事はアスリートファースト。ハラルの方、中近東の方が来て、自国の味じゃ無いと言われたら、我々は情けない。アイテムを絞って、料理の中でメリハリをつけてもいいのかな」
石井さんにとって、試食会の結果は満足いくものではなかった。
選手を喜ばせるメニューを完成させるまで、試行錯誤が続いた。
石井さんは「やれないと言わないのが、モットー」
メニュー開発と並行して、食材の調達も始まっていた。
柴田豪・調達チーム責任者は食堂で使われる全ての食材の調達チームのリーダー。
大会開催まで残り1年を切る中、2割の食材の調達先が決まっていなかった。
この日柴田さんは全国にネットワークを持つ全農に足を運んでいた。
食堂運営期間は2ヶ月。
安定して食事を提供するには、収穫時期が異なる産地をリレーして食材を仕入れる必要があるが、野菜や果物の収穫量は、天候に左右される。
大量に仕入れるには、大量の作付けを行ってくれる生産者が必要。

2019年9月
柴田さんは福島県の農家の視察をした。
福島のGAP農産物を扱う農家。
GAPとは、農作物の安全性を証明するもの。
オリンピックでは、このGAP認証を取得した生産物を扱うことが決められている。
伊達のキュウリが選ばれていた。
GAP認証を取得するには、生産から出荷までいくつかのチェックがあり、農家の負担が増える。
2019年当時、GAP認証を取得している農家は4%足らず。

選手村の食堂で働く、アルバイトの確保が課題だった。
開幕1年を切る中、目標人数の5000人に全く足りていない。

紅林さん「ワンチームなので、ヒトとモノが絶妙に動いていかないと、皆さんに喜んでいただける大会にできない」と引き締めた。

アルバイトの確保に鍵となるのは、大会期間中が夏休みになる学校。
成川さんは、新宿の調理士学校に通った。
生徒は調理の補助の即戦力として、期待できる。
説明会の後、すぐに面接が始まった。
成川さんは、見通しがついたと自信を高めた。

食堂運営プロジェクトが始動して半年。
それぞれに重圧を抱えたメンバーたち。
不吉な夢をよく見る、と言う。

ところが、2019年12月ころ新型コロナウイルスが発生。
2020年3月24日オリンピック史上、初めての延期が正式に決まった。
翌日集まった。
「1年後を目指して」
開幕4ヶ月前、着々と進めて来た準備は全て見直しに。
レンタル機材のキャンセルや、アルバイトの内定者への採用の保留など、すぐさま連絡。
最も深刻な打撃を受けたのは、食材調達チームだった。
2020年夏に向け、すでに作物は作付け済み。
海外から輸入する手配も全て終えていた。
すぐに取引先を招き、話し合いが行われた。
マレーシアに注文していた鶏肉30トンの輸入は止められず、会社で買い取ることになった。
担当の柴田さん「同じ話を200箇所に伝えないといけない。中止になるよりいいさと考えました」

プロジェクトリーダーの紅林さんが向かった先は、ビジネスホテルを経営する会社。
インバウンド客の急増が予想され、ホテルの確保が難しい中で、この会社は食堂スタッフ用に100室を確保してくれていた。
一度キャンセルして翌年再び予約したいと依頼しに来た。

4月東京で初めての緊急事態宣言が発令。
プロジェクトメンバーは交代で出社振ることになった。
選手村の食堂の準備作業は、1か月近くこう着状態がつづいた。
紅林「早く組織委員会と条件面で詰めて、次のステージに移りたいと思っている」
石井さんは緊急事態の間にレシピを確認しながらマニュアルを作成していた。
1800人のメンバーにばらつきが出ないように。

9月東雲
柴田さんは冷蔵・冷凍倉庫に来ていた。
キャンセルできなかった食材が届いた。
翌年の開催まで賞味期限がもたない食材をどうするか。
食品ロスは出さない方針。
買い取って、全国の給食サービスの食堂で使うことにした。

9月4日
コロナ禍でどう開催するか。
座席数は3割減との指示が出た。
80万食とされていたのが削られる。
参加する選手の人数が見えないまま、手探りで密対策が練られた。

2021年1月
新年最初のミーティングは深刻な問題の報告から始まった。
アルバイトのとパートがなかなか集まらなかった。
採用の担当者成井さんは専門学校から学校と、対象範囲を広げた。
対面式の面接ができなくなった。
学校自体にも入れないケースもあり、採用活動は思うように進まなかった。

5月
感染者数が増大。
開催への不安が高まる中、プロジェクトが選手村に引っ越した。
食堂にテーブルが設置された。
アルバイトスタッフへ向けた説明会が始まった。
感染者数が減らない中での説明会。

6月1日
最初の選手団がオーストラリアから来日。
国民からは開催反対の声も多くなってきた。

工事が3ヶ月遅れとなり、初めてキッチンを使っての試食が行われた。
この日はピザ、問題は火加減。
オーブンの個性が出てしまう。
繰り返しピザを焼いて絶好の焼き加減になるタイミングを見はかった。

座席数を減らした中、大会組織委員会からさらなる要望が出た。
テイクアウト。
屋外や部屋などで食事がとれないか、というようだ。
真夏の大会、衛生的にも容認できない。

ハラルの食材は他の食材との接触を避けて、専用のトラックで運ばないといけない。
イスラム教徒によって、運搬車が清められた。

運営会社の社員150人が集まった。
アルバイトをまとめるリーダー役となる。
本番さながらのシミュレーションが始まった。
50品150人分を揃える。
全ての料理が出揃ったのが47分遅れだった。
感染対策の検証も同時に行われた。

IOCの立ち合いのもと、シミュレーションが行われた。
運営スタッフ100人を選手に見立てて、本番さながらのリハーサルが初めて行われた。
素早く盛り付けないと、あっと言う間に密になってしまう課題が浮き彫りになった。

7月3日から関係者以外は選手村に入れなくなった。

倉庫からの配送の際に食材は危険物の混入がないか、調べられた。

7月23日・開会式
食堂は開会式の10日前からオープンした。
課題となっていた盛り付けは速度が上がった。
24時間運営で選手をもてなす。

関係者は選手村近くの築地のホテルに泊まり込み。
紅林さんも7月からホテル暮らしで家族に会えない日々が続いていた。
大会期間中、選手や関係者たちが食堂の模様をSNSにアップしていた。

予想を超えた人気急上昇の影響は、調達係に襲いかかった。
倉庫にストックしている量を確認、選手村に連絡された。
みずみずしいスイカが人気となり、足りなくなってしまった。

夜中、柴田さんに連絡があった。
トラックの荷物を封印するセキュリティーシールに不備があった。
原因は作業の慣れが生んだようだ。
長丁場のためスタッフ1人1人に疲れが溜まっていた。

オリンピック閉幕

2021年9月
選手村では撤収作業が始まっていた。
ダイニングホールは取り壊され、跡地は学校になる予定。

選手村が閉村して2週間後
プロジェクトリーダーの紅林さんは組織委員会に出す報告書をまとめていた。
提供した料理はおよそ87万。
使われなかった食材は、ボランティア団体への提供を考えている。

数多くの想定外の困難に立ち向かったメンバーたち。
コロナ禍が続く中、残務が終わり次第、1人1人元の職場に戻っていく。
「このままフェードアウト。パートさんたちには慰労会とかしてあげたかったんだけどね。それができないのが辛い」

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新型コロナによって、翻弄され、食材も買取りして、利益も少なかったに違いない。
この人たちの陰の努力もあって、東京五輪は無事に開催出来た。

移転のため・最後となる「晴海ランチ」の記事はこちら(2018年5月6日)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://ameblo.mom/miyacar/entry-12373892176.html

では、明日。