◆地球ドラマチック「タイタニックはなぜ沈んだのか」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
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写真AC ケイちゃんさん提供のフリー素材


レオナルド・ディカプリオさんの映画「タイタニック」は、日本テレビの「金曜ロードショー」で2週に渡って放送されたばかり。

今も語り継がれる大惨事。
タイタニック号には、悲劇につながった10のミスの積み重ねだった。

1911年9月、タイタニック号は、イギリスの造船所で完成を間近に控えていた。
同じ型の豪華客船3隻のうち、オリンピック号に続いて造られた。
発注した船会社は、3隻の客船を続けて建造し、世界の注目を集めようとしていた。
当時、世界最大のスケールを誇る客船だった。
全長は269メートル・ニューヨークの高層ビル並み。
内部の造りも豪華。

タイタニック号は最先端の安全設備も取り入れていた。
数多くの救命ボート
当時最新技術である無線
そして、浸水を防ぐために設計された水密隔壁

第1のミス 完成の遅れ
9月20日、オリンピック号がイギリス海峡を渡っていったが、軍艦の脇をすり抜ける前に、衝突した。
この時、船体に穴が開いて浸水したが、水密隔壁があり、沈没を免れ、浮いていることが出来た。
このことから、楽観的な考え方が広がっていった。
タイタニックはひどい損傷を受けても沈まないと認識された。

船会社はオリンピック号の修理を優先して、タイタニックの完成は後回しにされ、4月に遅れた。
北大西洋で、流氷の季節が始めるタイミングだった。
この年は通常の3倍以上の氷山が流れた。
過去50年間で最悪。
前の年の暖冬でグリーンランドからとけだし大量に南に流れた。
1912年春にカナダ沖合の北大西洋に流れついた。

1912年4月10日、タイタニック号は乗客乗員2224名を乗せ、ニューヨークへの定期航路の初航海。
時速33キロで進めばいい計算のところを、時速40キロ以上で進んでいた。
速度を出しすぎた事は、タイタニック号の第2のミスだった。

第2のミス スピードへのこだわり

スミス船長にはスピードへのこだわりがあった。
スミス船長は所属する船会社の中でも、最も人気があり、富豪からお気に入りの船長だった。
スミスは毎回スピードを出して目的地に早く着くことが得意だった。
霧に出会ってしまう可能性が高いことも理由の一つだった。

スミスは、氷山衝突のリスクを軽く見ていた。

第3のミス 隠された火事

乗客に知らせていない火事が、船で起こっていた。
当時のタイタニックの動力は蒸気だった。
タイタニックでは、1日600トンもの石炭がボイラーで燃やされていた。
しかし時折、石炭が自然発火して火事になることがあった。
のちに乗組員の間で、第5ボイラー室で火事が起こっていたことを証言した。
石炭庫が空になり、火が消えたのは4月13日。
氷山衝突の前日だった。
火事はタイタニックの船体に確実にダメージを与えた。
10日間火事が続いていたから、500度から1000度の熱にさらされ、石炭庫の鋼鉄の壁は傷んでいた。
タイタニックは、多くの金属板のパーツからなっていて、ここのパーツはつなぎ合わされていた。
つなぎ合わせが熱せられれば、金属板は曲がりやすくなってしまう。
石炭庫の壁は精密隔壁としても重要だった。
船体に穴が空いても、船への水の流入を食い止める安全施設である。
火事によるダメージで、精密隔壁としての役割が損なわれた。
火事のあった石炭庫の壁が歪んでいたとの証言もあった。
歪んだ壁は、精密隔壁の機能を弱めた。

不安を抱えながら、タイタニック号は航海を続けていた。

4月11日、タイタニックの航路に多くの氷山が近づいていた。
タイタニックがぶつかった氷山は、船のエンジンよりも巨大だった。
初航海2日目、豪華なタイタニックの船内では1317人の乗客たちが、船会社が提供する極上のサービスを満喫していた。
タイタニックが時速40キロでニューヨークを目指している時、巨大な氷山がゆっくりと南へ漂流していた。
氷山の重さは100万トン以上で大部分は水中で鋭く尖ったへりが近寄るものを切り裂こうと待ち構えていた。
20世紀始め大西洋を横断するほとんどの定期客船には最新技術の無線通信機が備えられていた。
危険な氷山の位置を船同士で確認し合うことが可能だった。
4月14日タイタニック号の無線通信士は氷山を警告するメッセージを見落としていた。
これが第4のミスとなる。
通信士には、他に優先事項があった。

第4のミス 見落とされた警告

タイタニック号の無線通信士は船会社でなく、電信会社に雇われていた。
最も重要な仕事は、乗客のメッセージを陸に送り、利益を得ることだった。
無線は、現在のWiFiのように、乗客たちのコミュニケーション手段だった。
通信士は、近くの船が発する警告メッセージを受け取った。
メッセージの冒頭には、重要性を表す3文字のマークが付けられていた。
「MSG」は、船長に宛てたメッセージであり、氷山の接近を警告する場合に使われた。
4月14日の早い時刻にMSGと記された氷山を示す警告は、スミス船長に度々伝えられた。
スミス船長は、警告メッセージを全て確認し、ニューヨークへ向かう航路を当初の計画から変更した。
少し南寄りにすれば、安心だと考えた。
午後5時50分、タイタニックはコースを変更した。
スミス船長は、自分の判断が何を招くか知らないまま、ディナーに向かった。
この日通信士たちは大変な状況に陥っていた。
前日から通信機に不具合が起き、修理に何時間もかかったため、乗客の通信依頼が大量に溜まっていた。
午後9時52分、氷山の警告メッセージが再び届いた。
発進した船はタイタニック号とほぼ同じ経路を通り、先にニューヨークに向かっていた。
事態は深刻だった。
タイタニック号の変更後のルートには、巨大な氷山がいくつも漂っていた。
ところが、このメッセージはスミス船長には届かなかった。
通信士は冒頭の「MSG」が無かったため、メッセージは放置されていた。
乗客の通信の仕事が続けられていた。
わずか40分後、さらに差し迫った警告がほんの数10キロ先の船から届いた。
そのメッセージにも、「MSG」の3文字が付いていなかった。
午後10時半頃、タイタニック号が衝突するほんの1時間前、近くのカリフォルニアン号から「氷に囲まれている」というメッセージが無線で届いた。
そのメッセージが届いた時も、通信士たちは乗客たちのメッセージの処理に追われていた。
無線の音が大きすぎたため、タイタニック側は邪魔するなと返信していた。
カリフォルニアン号の通信士は諦めて、就寝してしまった。
カリフォルニアン号の通信の重要性に気づく前に、タイタニック号は自ら交信を絶ってしまった。
カリフォルニアン号は氷山に衝突する危険を避けるため、翌朝までエンジンを止め停泊した。
警告がスミス船長に届いていれば、タイタニック号も同じ対応を取ったかもしれない。
氷山の危険を避ける手段は無線だけでは無い。
タイタニック号の甲板には高さ15メートルの見張り台があった。
そこには見張り員が立ち、前方の危険を知らせる任務に就いていた。
スミス船長や航海士たちは氷山の多い航海では、見張りを徹底すべきだと百も承知だった。
船会社は、見張り専門の乗組員さえ雇っていた。
その夜の見張り員はレジナルド・リーとフレデリック・フリートだった。
2人は氷山を見分けることに関しては、何年もの経験があった。
しかし、4月14日の夜は、いつも手にしている大切な道具を持っていなかった。
双眼鏡は二等航海士の部屋に保管されていたが、航海士の入れ替えの際に二等航海士は双眼鏡が保管されていた部屋の鍵を持ったまま下船してしまった。
双眼鏡なしの見張り、これが第5のミス。

第5のミス 双眼鏡なしの見張り

氷山と衝突した夜、周辺の天気はまれに見る澄み切った状態だった。
高気圧の状態で、空には一点の曇りも無かった。
見張り員も、氷山を見つけられる自信があったようだ。
視界のいい海でも、もやがかかっている場合がある。
もやは、氷山のような物体を見えなくしてしまう。
ちょっとした目の錯覚が起こるもの。
遠くのもやで、屈折した光が、氷山を見えなくしたと考えられている。
双眼鏡さえあれば、数秒早く氷山を見つけ出してタイタニックの運命を変えていたかもしれない。
午後11時30分、タイタニックはすでに氷山の多い海域に入っていた。
午後11時39分、一般航海士マードックが船長に代わり当直に入っていた。
タイタニックが氷山に衝突する37秒前、突如見張り員の叫び声が響き渡った。
「真正面に氷山!!」
指揮を執るマードックに、鐘が3回聞こえた。
前方に危険ありという合図だった。
マードックはとっさに舵を切ることを決断した。
大声で命令し、舵がしっかり切れたのを確認してから、全速でバックするように指示を出した。
旋回を始めたものの、巨大なタイタニックは、水中の氷山のへりを避けることは出来なかった。
海面上の氷山は避けられたが、海面下の氷山は回避することができず、衝突して、船体の側面が損傷した。
衝突直前のタイタニックの舵の切り方に問題があったとされる。

第6のミス 効かなかった舵

舵は水流を曲げるための平らな板であり、船尾にある舵の板を動かすと、水の流れる向きが変わる。
タイタニックは中央のスクリューから押し出される水が船尾の板に当たることで舵がよく効く仕組みだった。
タイタニック号の舵が方向転換する力を増すのは、中央のスクリューが回っている時だけだった。
エンジンを停止させて、その後で船をバックするという命令の結果、大事な瞬間に中央のスクリューは止まっていたはず。
中央のスクリューを止めたため、氷山が迫る数秒間、舵の効きが弱くなり、氷山を避けられなかった。
ただし、氷山にかする程度で損傷は軽いものだった。
船体の下で起こったことに、乗客は全く気づかなかった。
氷山は船の右側側面に当たったが、鋼鉄製の豪華客船を切り裂いて、穴が開いたわけではない。
しかしその損傷はタイタニックを破滅へ導く第7のミスへとつながった。

第7のミス もろいリベット

タイタニック号は、何百枚もの金属板で造られ、金属板同士が鋼鉄製の「リベット」という部品で
つなぎ合わされていた。
リベットは2枚の金属板をつなぐために使われた。
タイタニックの船体のリベットは沈没の夜、異例の寒さにさらされていた。
タイタニックはシャーベット状に凍った海を進んでいて、海中の船体の温度は、ほぼ氷点下だった。
温度の違いで鋼鉄の強度が変わってしまう。
室温では、鋼鉄は衝撃を受けても曲がるだけで折れない。
しかし、氷点下に近い温度の鋼鉄は衝撃を吸収する能力を失うのだ。
凍るほど冷たい大西洋で、タイタニックのリベットも、もろくなっていた。
リベットの問題は他にもあった。

タイタニックの先端部分は、鋼鉄よりも品質の劣る錬鉄のリベットが使われていた。
リベットを締める水圧式の機械は大きくて扱いが大変だった。
船の先端など、湾曲している部分には使えなかった。
そこは手作業に頼るしか無かった。
とはいえ、鋼鉄のリベットは、人間がハンマーで叩いて締めるには固すぎる。
やむなく船首部分の外側は、鋼鉄よりも柔らかい錬鉄のリベットを使うことになった。
錬鉄にはスラグという鉄以外の物質が多く混じるから、鋼鉄ほど頑丈ではない。
それは、いわば鉄鉱石に含まれるカスのようなもの。
スラグが多いほど、リベットは低温度での衝撃に対してもろくなる。
タイタニックが氷山に衝突した時、錬鉄のリベットには、相当の力がかかった。
タイタニック号の重量は5万トン。
巨大な金属の塊が時速40キロほどで進んでいたわけだから、衝突の瞬間に生じたエネルギーはものすごいものだった。
タイタニックが氷山にぶつかった時、その衝撃は、船体のどこかに吸収されなければならない。
影響を受けたのは、その弱い部分、外側の金属板をつないでいた錬鉄のリベットである。
リベットが外れて船に裂け目ができた結果、もろいリベットは折れ、外側の金属板の継ぎ目が数カ所開いてしまった。
しかし、タイタニック号は大規模な損傷を受けても危機をのりこえられるはずだった。
水密隔壁で16の区画に分かれ、一部が破壊されても浸水は止まるはずだった。
水がメインの4区画に侵入しても、船体は耐えられるよう設計されていた。
さらに先端部分には浸水しにくい構造の区画が設けられていた。
氷山と追突して10分しても、乗客は落ち着いていた。
しかし船底のボイラー室では急激に制御不能な事態に陥っていた。
そして、沈まないはずのタイタニック号の弱点が露わになった。
ボイラー作業員のフレデリック・バレットは自分がいた第6ボイラー室が浸水したため、隣の第5ボイラー室に逃げることにした。
ボイラー室同士を隔てる防水扉は閉められた。
ところが第5ボイラー室の石炭庫から水が流れこんできた。
バレットは急いで石炭庫の扉を閉めた。
ただし、その扉は防水ではなかったので、1時間以上浸水を食い止めようとした。
水を汲み出す方法を探り、できる限り、船の沈没を防ごうとした。
突如大量の浸水が起こり、もうバレットはもう何も出来ないと判断し、急いで脱出した。
水は船内の至る所にあふれていた。

深夜0時40分、船内のかさが増し、タイタニックは徐々に沈み始めた。
バレットが脱出した第5ボイラー室の石炭庫は、作業員たちが何日間も火事と闘った場所だった。
石炭庫の壁の水密隔壁は高熱により歪んでいた。
水は船体の外側に開いた穴から侵入し、船内の損傷した水密隔壁を通り抜けて広がって行った。
水密隔壁が火事で歪んでいたため、流れ込む水を辛うじて押しとどめていたのは、石炭庫の扉だけだった。

ボイラー室に流れた水は重さ440トンに達し、石炭庫の扉1枚に3トンの水圧がかかった。
水圧が3トンを越えたとき、ついに扉は壊れ、水が一挙になだれこんだ。
抑えられていた水が、区画を越えて広がった。
前方の6つの区画が浸水し、タイタニック号は傾き始めた。
ただし、沈没のスピードはそれほど急ではなかった。
2200人全員が避難する時間は十分にあった。
しかし沈み始めた船の上で、第8のミスが起こった。
それは、乗客たちの何気ない行動だった。

第8のミス 開けられた窓

氷山との衝突で出来た、6箇所の亀裂。
ただし、水が侵入する部分はごく僅かだった。
全部の亀裂を合わせても、決して大きくは無かった。
しかし衝突後船が停止すると、乗客は何が起きたのだろうと、船室の窓を開け始めた。
それが致命的だった。
乗客たちは、脱出に備え、甲板に出るように指示された。
乗客は船室の窓を開けたまま出て行った。
タイタニックが沈み始めた時、船室の窓が開いていたことによって、浸水のスピードが早くなっていた。
窓が10箇所開いているだけでも、相当の水が流れ込むだろう。
実際には多くの窓が開いていた。
タイタニック号には船室の窓が300以上あった。
乗客の好奇心による行動が、船の沈む速さを加速させた。
浸水が増すにつれ、水密隔壁の設計にも、致命的な問題があることが明らかになった。

第9のミス 低すぎた水密隔壁

タイタニック号の水密隔壁の高さは平均12メートル。
船室フロアには達していない。
これには、ある意図があった。
タイタニックの設計者たちは、乗客がとる空間をひろくとるため、水密隔壁を部屋の1番上まで届くようにしなかった。
その判断が災いとなった。
程なくして、水が水密隔壁の高さを超えた。
隔壁はもはや防水の役目を果たさず、水は客室フロアになだれ込んだ。
最後の瞬間が近づいた。
船の前方も水中に沈み、船尾が海面から高く上がった。
船底では、船の背骨とも言うべき、鋼鉄の部材が折れ、轟音が響いた。
そして甲板ではまだ沈んでいない船尾の方に乗客が殺到した。
船尾は傾いたまま安定して、人々はつかの間安堵した。
しかし次の瞬間、船体は折れて、海面へと落下した。
そこから先は断末魔の様相だった。
あかりが消え、船は何度か揺れ動き、永遠に消えて行った。

1912年4月15日午前2時20分、タイタニック号は大西洋の冷たい海に沈んでいった。
乗客乗員およそ1500人の人々とともに。
氷山に衝突してから2時間40分のことだった。
多くの人命を奪った背景には、もう1つのミスがあった。

最後のミス 正面衝突の回避

もし一等航海士マードックが氷山をさけなければ、タイタニック号は沈没しなかったかもしれない。
もし正面衝突していたら、船の全長の8分の1が潰れただろう。
浸水を防ぐ水密隔壁は持ちこたえ、致命的なダメージを免れて、船は浮き続けたかもしれない。
タイタニック号の先端には、衝突隔壁が設けられていた。
現代の自動車と同じである。
船の先端で衝突のエネルギーを吸収し、船体の後方が傷付かず、浸水しないように設計されていた。
しかしマードックが舵を切った結果、タイタニックは船体の側面を氷山に衝突させてしまった。
氷山をこするように衝突したことは、正面からぶつかるよりも、タイタニックに大きなダメージを合わせてしまった。
そうかと言って、氷山に正面衝突するという選択肢は、マードックにはあり得なかった。
これは一等航海士として当然の対応であり、期待された通りの行動だった。

100年以上経った現在でも、タイタニック号の悲劇の教訓は生き続けている。
今日、はるかに安全な航海を楽しめるのは、タイタニック号の教訓があるから。

ハインリッヒの法則
1つの大きな事故の裏側には、329個の小さなエラーが隠れている。
不祥事は偶然ではなく、何らかの予兆があるという教訓を統計学的に明らかにした。
今では、乗客全員分の救命ボートが用意され、浸水対策も向上している。
安全規則も驚くほど整備されている。
最新型のクルーズ客船・クイーンメリー2号を設計するチームは、タイタニックの教訓を強く意識していた。
そしてその教訓の大部分は現在船舶の国際的な法律に反映されている。
タイタニック号の尊い犠牲の上に今日の海の安全がある。


前回の「戦艦大和スペシャル」の記事はこちら(2020年8月16日)
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では、明日。