第45回 西郷立つ
隆盛の作った私学校の生徒の数は2000人を超え、さらに増え続けた。
庄内からも希望者が鹿児島に来た。
中原が政府からの密偵になった。
菊次郎の妹の菊草が引き取られて来た。
大山は私学校のメンバーに廃刀令を伝えた。
桐野は率先して刀を出し、他の生徒も耐えて受け入れた。
禄も召し上げられ士族たちは反乱した。
各地の反乱を政府は力で抑えていった。
熊本からの文で血の気の多いものが騒ぎ出した。
隆盛「おはんらが立つことは断じてならん」
内偵がいると聞いてみな不安になった。
隆盛は一笑し「密偵がおったところで、何も困ることはなか」
非常に緊張した状態だと電報が入った。
従道は「兄さぁがそんなことをするはずがなか」
大久保「西郷の覚悟一つで日本の士族を奮い立たすことが出来るということだ」
川路はこっそりと「ボウズヲシサツセヨ」と文を書いていた。
中原が密偵だった。
「俺は薩摩を救うために来た」と言ったが、時すでに遅し。
桐野たちは密偵・中原を捕まえ、鹿児島の軍の倉庫を襲った。
隆盛は、捕らえていた密偵を解放し、桐野たちを殴った。
「おはらんらのやったことは国家への反逆じゃ」
桐野は指示書を手に取った。
「ボウズヲシサツセヨ」
これは中原への、西郷先生を暗殺せよっていう命令だった?
「出来ることは1つのみ、政府の政を正すのみ」
「分かった。みんなで東京に行き、先人たちの願いを政府に訴え、まつりごとのあり方を問いただす」
隆盛は「敬天愛人」と大きい用紙に筆で書いた。
菊次郎も付いていくと願った。
糸は「踏みとどまることはできんとですか?」
「できん」
「旦那さぁは新しい国を見せてもらうち言いました。まだ見せてもらってません」
隆盛は返事をしなかった。
県令の大山にも、戦はしない・話をするだけと伝えた。
鹿児島が50年ぶりの大雪となった。
海江田が「国父は必ず帰って来い」と言付けを伝えた。
菊草が歌を歌った。
東京へ出発した。
隆盛が旅立った情報は大久保に伝わった。
大久保が話をすると立ち上がったが、岩倉から止められた。
第46回 西南戦争
隆盛は13000人とともに、東京を目指した。
大久保は、天子様に西郷討伐の詔をお願いすることに。
10年2月18日、熊本県川尻にたどり着いた。
熊本市街は火に包まれた。
西郷たちは夜襲を仕掛けられた。
尋問のために上京するという名目は、早々に崩されてしまった。
「もはや進めべき道はただ一つ。行く手を阻むちゅうなら押し通す」
こうして、後に西南戦争と呼ばれる戦いに突入して行った。
南下する政府軍に対し、西郷軍は熊本に続く要所である田原坂と吉次峠で迎え撃ち、激しい戦闘となった。
警視抜刀隊の多くは薩摩士族で、両軍の戦闘はかつての同志たちによる殺し合いになった。
警視抜刀隊による切り込みをキッカケに、政府軍の圧倒的な兵力と、最新式の銃や大砲による攻撃に押され始めた。
西郷軍は劣勢と転じ、ついに田原坂を突破された。
東京では従道が、隆盛のところへ行くことも考えたが
「賊軍になってほしくなか」
妻に止められた。
弟の西郷小兵衛まで撃たれて命を落とした。
隆盛は涙を流した。
使者の柳原が島津久光のところに送り込まれ、西郷に改心するよう働きかけるように伝えた。
「シサツとは、視察なのか、刺殺なのか」
久光が尋ねても柳原は返事をしなかった。
「改心すべきは政府の方ではございませんか?わしは時勢に取り残された薩摩の芋侍でごわす」
窮地に立たされた西郷軍は、人吉へと逃れた。
この頃、木戸はこの世を去った。
鹿児島県令でありながら、大山は東京へ投獄された。
大山に向かって大久保は
「大罪人西郷が生きている限り、日本は治らん。西郷とその一党を打ち滅ぼす。こいを日本で最後の戦にするために。そいが政府の出した答えです」
「政府じゃなくて、おはんが出した答えじゃろ」
「おいが政府じゃ」
政府軍が、隆盛の留守に保護をすると言って来たが、糸は追い返した。
菊次郎は負傷した足を取らざるを得なかった。
西郷軍は、俵野にまで追い詰められた。
地元では西郷を応援する民が握り飯を用意してくれた。
隆盛から、解散布告令を出した。
「もう東京へは行けん。降伏するものも自由」と皆に言って、夜に軍服を燃やした。
隆盛は若い者は降伏するように諭した。
糸が隆盛のところに追いついた。
糸の望みは「旦那さぁが西郷隆盛じゃなかったら、どんなによかったか。吉之助さぁがただのお人じゃったら、どんなによかったか」
最終回 敬天愛人
隆盛は、終焉の地と定めた鹿児島に向かった。
従道も政府からの許しを得て延岡にやって来た。
隆盛が鹿児島に向かっていることを察知した。
西郷軍が道なき道を歩いた距離は450キロに及んだ。
延岡を経って14日、鹿児島の城山にたどり着いた。
桜島が見え「もうひと暴れしようかい」
西郷軍ははつらつと戦ったが、反撃もここまで。
政府軍の圧倒的な攻撃力に加え、陸と海から駆けつけた大軍に包囲され、西郷軍は山の上へと押し戻された。
大久保邸では満寿に「鹿児島の家が焼かれてしまった」
「旦那さあは鹿児島に行きたいんじゃなかですか」
大久保は内国勧業博覧会の方が大事だった。
琴が戦を止めるように言ったが
従道「こん戦は止められない」
糸「覚悟はできちょいます。信吾は胸を張って自分の役目を果たしてくいやい」
城山では、傷ついた兵士たちが、新八のアコーディオンで勇気づけられた。
20日あまり篭った仲間は372人だった。
そこには薩摩藩の桂久武も加わっていた。
大久保は、隆盛からもらったハンカチを眺め、かつてを思い出した。
鹿児島の政府軍本営に大久保からの電信。
総攻撃の命令を下した。
ただし、5時までに降伏すれば、西郷の命は助ける。
隆盛にも届けられた。
隆盛は「こげな情けは受けられん」
桐野が、別府が「受けてくいやんせ」
隆盛は「おいは死なねばならんとじゃ」
博覧会では、外国人からの質問に「もうすぐ戦は終わります」と大久保は答えた。
大久保は演説の途中で抜け出してしまった。
午前4時、総攻撃の時間が来た。
隆盛から「チェストー」
久武が撃たれ、桐野は川路に撃たれた。
新八も息を引き取った。
隆盛も銃弾を浴び、戦が終わった。
糸「おやっとさあでございました」
隆盛が離した犬2匹が戻って来た。
大久保邸に戻った正助。
「戦が終わった」
膝をついて「吉之助さあ」と何度も叫んだ。
徳川慶喜は号外を目にして
「何で逃げなかったんだ。俺みたいに逃げれば良かったんだ」
菊次郎には、義足がついた。
生前隆盛は糸に「子どもたちに伝えてほしかことがあっての。こいからの国づくりはおはんらに託されっちょ。賊・西郷隆盛の子であることを恥じることはあいもはん」
大久保は紀尾井坂で、馬車から引きづり降ろされ暗殺された。
最後に西南戦争に舞台は切り替わった。
隆盛は撃たれた後
「もう、ここらでよか」(語り部の毎回のセリフ)と自分で言って息を引き取った。
明治10年9月24日。
隆盛の遺体は南洲墓地に埋葬された。
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遅れて年をまたいで最終回まで見終えた。
終盤の「明治編」はただ無残なストーリーだった。
大久保はなぜ隆盛の韓国行きを頑なに反対したのだろう。
別の説によると、隆盛は岩崎谷で銃弾を脇と股に受け、「晋どん、もうここらでよかろ」と言って別府晋介が斬りつけたとなっていた。
今回のエンディングで良かったと感じた。
あまりにも大久保が残忍だったこと、なぜ西南戦争という酷い形になってしまったのか。
サムライたちの生活はまだまだ厳しかったのか。
最後に主役の鈴木亮平さん、1年間お疲れ様でした。
しばらく行けなかった世界遺産めぐりを楽しんでくいやい。
前回の「西郷どん」の記事はこちら(2019年1月12日)
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では、明日。