◆NHKプロフェッショナル仕事の流儀アンコール「エディ・ジョーンズ」後編 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。

世界の名将と言われたエディ、その豊かな才能は日本での数奇な運命のもとに育まれた。
“日本への恩返し”

1960年エディは、オーストラリア人の父と日本人の母のもとに生まれた。
ラグビー大国、オーストラリアでの選手生活。
体格も小さく、足も早くなかったのだが、頭脳明晰と評判の選手だった。
大学卒業後、地元のチームでプレーしながら代表入りを目指したが、芽が出ず33歳で引退した。
学校の体育教師として働いた2年後、チャンスが訪れる。
突然東海大学から、コーチの仕事をしに来てもらえないかと誘いが舞い込んだ。
母親の母国、大きな希望を抱いて初来日。
だがプレーを見て愕然とした。
技術も無ければ体力もない。
ラグビーの体をなしていなかった。
教えれば教えただけ夢中になって吸収し、伸びていく選手たち。
エディは基礎の戦術から最先端のコーチング理論まで片っ端から学び、選手の指導に日夜明け暮れた。
1年後、オーストラリアのクラブチームから監督のオファーが届く。
エディの指揮官としての快進撃が始まった。
就任3年目で世界最高峰のリーグで準優勝。
4年目で優勝。
名将と言われるまでになった。
その手腕を買われ、41歳でオーストラリア代表監督に就任。
2年後のワールドカップで見事準優勝を果たした。
だが、ここからが本当の試練の始まりだった。
世間の期待は「次は優勝」と高まる一方。
しかし世代交代の波にもまれ、成績は下降の一途をたどった。
バッシングの嵐、自宅にゴミも投げ込まれた。
任期途中で解任された。
「無力さを感じました。人生で一番やりたかった仕事を失ったんです。この先どう生きたらいいんだろうと途方に暮れました」
1週間後、気づけば日本に向かっていた。
かつて世話になったチームで選手と一緒に汗を流した。
皆変わらず目を輝かせながら練習に打ち込んでいた。
エディの中で何かが吹っ切れた。
「日本の選手は、私がオーストラリアで何があったとか聞いてきませんでした。
日本人の素晴らしいところです。とても前向きになれました」
“再び這い上がってみせる”

エディはオーストラリアに戻り、弱小チームの監督を引き受けた。
1人の若手に目を止めた。
練習開始から20分もすると動きが緩慢になり、精彩を欠いてしまった。
データ上では説明がつかない。
エディは1対1で話を聞いた。
5分も経たないうちに大声で泣き始めた。
両親が離婚し、父親がギャンブル依存症でお金を取り上げられていた。
心理学の専門家に相談し、父親もサポートした。
彼は見違えるように回復し、活躍していった。
ほかにも才能を持て余している若手がいることに気がついた。
このチームの最大の強みは若い選手の可能性、
指導者として1つの哲学が刻まれた。

世界でめざましい実績を挙げたエディに3年前に日本代表の声がかかった。
胸に秘めた思いがあった。
「私は半分日本人ですし、私に初めてコーチの仕事を与えてくれたのも日本でした。
日本には義理を感じています。
キャリアの最後は日本にしたいと思っています」
エディは20年に及ぶ監督の集大成として日本のチームの強みを見出し新たな歴史を刻もうとしている。
最大の勝負所、ワールドカップまで1年を切った2014年11月、エディ率いる日本チームはさらなる強化を目指して東ヨーロッパ遠征に突入した。エディ就任以来急成長を遂げたとは言え、日本はワールドカップ1勝の「弱小国」その日本のが世界の強豪国を倒し目標のベスト8を達成するのは容易ではない。
この日早速エディの雷が落ちた。
大舞台で勝ち抜くためにエディの真価を問われる戦いが始まろうとしていた。

エディはスタッフを集めてミーティングを開いた。
選手に責任感を持たせたいと。
チームの最大の課題は各ポジションのリーダーにある、と考えた。
試合が始まれば監督は逐一指示を出すことが出来ない。
リーダーが自ら判断しチームを牽引できなければ、さらなる成長はない。
エディが特に期待を寄せるリーダーがいた。
副キャプテン・五郎丸歩選手。
チームのスター選手だが、主張が若干弱い。
3日後に行われたルーマニア戦。
リーダーたちの決断力が問われる格好の展開となった。
相手のプレッシャーが強く、なかなか得点が奪えない。
リーダーはこの状況をどう打開するか。
五郎丸たちは、キックでコツコツと得点を積み重ねる作戦に出た。
大きくリードを奪えないため、逆転される恐れもある。
それでもキックを選び続ける。
エディは「選手自らが考え行動するチームが理想なのです。私の仕事は、自分の仕事を無くすことです。選手たちで問題を解決出来るようになります」
五郎丸のキックで全ての得点をあげ、難しいゲームを勝ち切った。
だが翌日チームを揺るがす事態が起こった。
精神的支柱であるキャプテンが故障で離脱。
ほかにも怪我人が多数出ていた。
次に対戦するグルジアはさらに手ごわい相手である。
経験が少ない若手中心となる試合を、リーダーがどう引っ張っていくか。
リーダーたちを集めたミーティングでは、大まかな戦術を説明した後、エディはミーティング場から席を立った。
後は自分たちで考えさせる。
五郎丸たちがチームを束ねられるか。
選手たちは夜遅くまで気迫のこもった練習を続けていた。
11月23日当日、グルジアのホームゲーム。
「自信を持って」と送り出した。
グルジアは体格差にモノを言わせ日本を押し込んできた。
先制トライを奪われ、さらに前半終了間際にも失点。
7点をリードされ前半を折り返した。
さらに気がかりな情報が伝えられた。
相手のラフプレーにより、五郎丸が負傷していた。
でれでも出場を志願したという。
日本は後半もさらに不運に見舞われる。
予期せぬ方向にボールが転がり、追加点を奪われ、15点差。
今までの日本がそうだったように、一気に押し込まれるのか。
そこから、パスをしぶとくつなぐ連続攻撃。
何度止められても立ち上がり、相手に向かって行く。
連続攻撃は10回に及んだ。
少しずつゴールラインに迫る。
残り半分、日本らしいトライを奪った。
その後も懸命に追い上げる。
試合終了、反撃及ばず日本は敗れた。
それでもエディは笑顔だった。
選手の成長に手ごたえを感じていた。
「選手たちは100%能力を出し切った。これがジャパンウェイです」
“ワールドカップで世界を驚かす”その日までエディジョーンズの戦いに終わりはない。
「プロフェッショナルな人というのは、何事も常にしっかりやろうとしている人だと思う。
自分の仕事を完璧にしっかりやろうとする人」


★今年のワールドカップ本大会の南アフリカ戦の大金星につながっていく。
これで若干低迷していたラグビーも競技人口が増えて行くことだろう。

次はアイスホッケーに期待したい。