
崎陽軒のシウマイが発売されたのは1928年
横浜駅の売店で売る駅弁として生まれた。
生産量は年間2億8000万個
駅弁屋にすぎなかった崎陽軒は、年商212億円、今なお成長を続けている。
横浜駅周辺には崎陽軒の店舗が14もある。
駅東口のすぐ近くに崎陽軒の本社がある。
本社の地下1階で巨大な弁当工場を構えている。
売れるそばからどんどん作って店に届けている。
それをコントロールしているのが本社4階の弁当事業部
各店舗の売れた個数と在庫数を見ている。
横浜周辺のイベント・天気・気温と過去データと照らしあわせて
生産を調整、廃棄ロスを削減。
弁当の販売数は1日32,000食。
もちろん横浜市民も夕食のおかずなど自宅での日常食としても買っていて、駅弁の枠を外れている。

崎陽軒は、冷める弱点を克服。
現在は「冷めても美味しい」最大の強みに変えてきた。
オホーツク海で獲れた天然のホタテ。
ウマみたっぷりの肉厚の貝柱を取り出し、4日間かけてじっくり乾燥させる。
ウマ味を凝縮、冷めた時の豚肉の臭みを抑えている。
ご飯は蒸気炊飯方式で「おこわ」のようにモチモチした歯ごたえを生み出している。
容器の材料はプラスチックが主流の中、木の容器にこだわっている。
エゾマツやアカマツなどの天然の木材が原料。
四角く切った木材を1ミリ以内に薄くスライス。
手作業で組み合わせて弁当箱を作成している。
木が水分を上手に調整しておひつなような役割をしている。
東京でも販売しているが、弁当を包むヒモがない。
横浜市民が愛しているヒモを、コストをかけてあえて付けている。
弁当におしぼりを初めてつけたのが崎陽軒。
崎陽軒社長・野並直文さんは、夕方に私服に着替えて店舗周りを欠かさない。
お客さんと店員との会話の内容を聞いて、意見として参考にしている。
シウマイ弁当の直近のリニューアル時に、煮たハスから卵焼きに変更した。
それまではまったく反響がなかったハスだったが
いざ外してみると「なぜ外したんだ」という声が多くて驚いた。
決して効率主義に走らない。
容器の材料だけでも30円は余計にかかっている。
お客がどこに価値を持っているかを、数多くの経験と失敗で感じ取ってきた。
“変えてはならないもの”は変えやすい、“変えるべきもの”は変えるのが難しい。
崎陽軒は1908年創業。
創業時、横浜駅ではなかなか駅弁は売れなかった。
お客さんは東京から買ってしまっていた。
大阪から東京に向かうお客さんは「あと30分もすれば東京だから」と買う人も少なかった。
もともと横浜は人口50万人に満たない小さな町だった。
初代社長は横浜名物になる商品を作ろう、と考えた。
南京町でまだ知名度がなかったシュウマイを発見し、これだと直感した。
料理人をスカウトし、ゼロから商品開発。
食べやすいように一口サイズに小さくした。
1928年シウマイを商品化、1954年シウマイ弁当を販売
横浜駅では手売りする容姿端麗な女性「シウマイ娘」
今で言うキャンペーンガールである。
このシウマイ娘を起用したキャンペーン作戦が当たった。
現在シウマイ弁当は1日平均17,000個も売れている。
現社長が就任し考えぬいた末、ナショナルブランドを目指さない
真のローカルブランドを目指すという企業理念を掲げた。
横浜本社では、レストラン・結婚式場などを作り、地元民の憩いの場所を提供している。
日本鉄道構内営業中央会の会長にも就任し、全国の駅弁屋を引っ張っていく。
「駅弁は世界に誇れるブランド、これからも駅弁のブランド価値を上げていく
地元の人にそっぽを向かれたら、“単なる観光地の土産”になってしまう」
これからも地域の人と常にコミュニケーションを図っていくようだ。
★今から結婚される横浜市民の方、
ここで式を挙げて特製ウエディングケーキでお客さんをサプライズさせて下さい。