◆世界一受けたい授業・黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。

日本の出版史上最も売れた本・黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」からの授業。
素材・学校

徹子は小学校1年の時、100回位机の開け閉めをして、2~3ヶ月で普通学校を退学させられた。
学校から「あなたがいると、みんなが迷惑です」
この時に母は「よその学校に行ってみる?」と、退学させられたことを口にしなかった。
このことを感謝しているという。

トモエ学園に転校した。
元の電車の車両を利用した、1940年代でも珍しい学校。
小林宗作校長先生は、初めて来た徹子に「なんでも話してごらん」と言った。
徹子は身近なことを話し、終わるまで4時間。
その間、校長は電話を取る、帳面を見るなんてことは一切なかった。
最後まできちんと徹子の話を聞いてくれた。

トモエ学園には、様々なルールがあった。
1.時間割がなかった
 ほとんど自習、わからないことだけを先生に聞いていた。
 最初に全教科の問題を黒板に書かれた。
 座る席も決まってなく、好きな教科から勉強した。
2.午前中に全員が問題を終えた時のご褒美は散歩だった
 どうして花が咲くのか教わったり
 農家の野菜の収穫を手伝ったり
 九品仏の寺の歴史を習ったり
 すべて「生きた教科書」になって勉強していた。
3.校長先生は、全員の弁当をのぞき、海のモノと山のモノを入れるように指導した
 [山のモノ]炒り玉子、グリーンピース
 [海のモノ]たらこ、デンプ
4.校長から毎日言われた言葉
 「君は、本当はいい子なんだよ」
 黒柳の一生を決定づけた。
 好奇心旺盛でいろいろ問題を起こしたようだが、自由な校風の下で過ごした。
 
・今はトモエ学園はないのか?
 昭和20年の大空襲で焼けてしまった
・どんな生徒がいたのか?
 障がいを持った子もいた。
 その子たちからもいろいろなことを教わった。
 校長は、からだの弱い子を見て「助けてあげなさい」と言ったことはない。
 「一緒にやっていくんだよ」
そこは、差別もいじめもない自由な世界だった。
黒柳は、この学校のすばらしさ・長所を伸ばす小林校長のやり方を紹介したくて、学校のことを本にしたそうだ。

本は、1981年に講談社から出版された。


写真はフリー素材集「足成」より