
徹子は小学校1年の時、100回位机の開け閉めをして、2~3ヶ月で普通学校を退学させられた。
学校から「あなたがいると、みんなが迷惑です」
この時に母は「よその学校に行ってみる?」と、退学させられたことを口にしなかった。
このことを感謝しているという。
トモエ学園に転校した。
元の電車の車両を利用した、1940年代でも珍しい学校。
小林宗作校長先生は、初めて来た徹子に「なんでも話してごらん」と言った。
徹子は身近なことを話し、終わるまで4時間。
その間、校長は電話を取る、帳面を見るなんてことは一切なかった。
最後まできちんと徹子の話を聞いてくれた。
トモエ学園には、様々なルールがあった。
1.時間割がなかった
ほとんど自習、わからないことだけを先生に聞いていた。
最初に全教科の問題を黒板に書かれた。
座る席も決まってなく、好きな教科から勉強した。
2.午前中に全員が問題を終えた時のご褒美は散歩だった
どうして花が咲くのか教わったり
農家の野菜の収穫を手伝ったり
九品仏の寺の歴史を習ったり
すべて「生きた教科書」になって勉強していた。
3.校長先生は、全員の弁当をのぞき、海のモノと山のモノを入れるように指導した
[山のモノ]炒り玉子、グリーンピース
[海のモノ]たらこ、デンプ
4.校長から毎日言われた言葉
「君は、本当はいい子なんだよ」
黒柳の一生を決定づけた。
好奇心旺盛でいろいろ問題を起こしたようだが、自由な校風の下で過ごした。
・今はトモエ学園はないのか?
昭和20年の大空襲で焼けてしまった
・どんな生徒がいたのか?
障がいを持った子もいた。
その子たちからもいろいろなことを教わった。
校長は、からだの弱い子を見て「助けてあげなさい」と言ったことはない。
「一緒にやっていくんだよ」
そこは、差別もいじめもない自由な世界だった。
黒柳は、この学校のすばらしさ・長所を伸ばす小林校長のやり方を紹介したくて、学校のことを本にしたそうだ。
本は、1981年に講談社から出版された。
写真はフリー素材集「足成」より