さて、ガイドさんと合流して、法隆寺へ。
ガイドさんの説明は みっちりむっちりで、
それだけこの法隆寺が、歴史も古く、また
建築物としても、意味のあるお寺だったことがよくわかりました。
「ひかりたび」には珍しく、勉強会みたいになりましたよ・・・![]()
*法隆寺
「法隆寺は、日本仏教興隆の祖である聖徳太子が
創建したと伝えられる寺院である。
聖徳太子の実在を疑う説も存在するが、
その説においても聖徳太子のモデルとなった人物が
斑鳩宮及び斑鳩寺を建てたことは史実であろうとしている。
現存する法隆寺西院伽藍は聖徳太子在世時のものではなく、
7世紀後半 - 8世紀初の建立であることは定説となっており、
この伽藍が建つ以前に焼失した前身寺院(いわゆる若草伽藍)が
存在したことも発掘調査で確認されている。
また、聖徳太子の斑鳩宮跡とされる法隆寺東院の地下からも
前身建物の跡が検出されている。
通説によれば、推古天皇9年(601年)、聖徳太子は斑鳩の地に斑鳩宮を建て、
この近くに建てられたのが法隆寺であるとされる。
金堂の「東の間」に安置される銅造薬師如来坐像(国宝)の
光背銘には「用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を発願したが、
用明天皇がほどなく亡くなったため、
遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子があらためて推古天皇15年(607年)、
像と寺を完成した」という趣旨の記述がある。
しかし、正史である『日本書紀』には(後述の670年の火災の記事はあるが)
法隆寺の創建については何も書かれていない。
前述の金堂薬師如来像については
• 像自体の様式や鋳造技法の面から、
実際の製作は7世紀後半に下るとみられること
• 607年当時、日本における薬師如来信仰の存在が疑問視されること
• 銘文中の用語に疑問がもたれること
という理由から、文字通り607年まで遡る製作とは見なされていない。
また、金堂の中央に安置される本尊は
「623年に聖徳太子の冥福のため止利が造った」
という内容の光背銘をもつ釈迦三尊像であり、
これより古い薬師如来像が「東の間」に安置されて
脇仏のような扱いをされている点も不審である。
このように、若干の不明点は残るものの、
法隆寺の創建が7世紀前半の聖徳太子在世時に遡ることは、
発掘調査の結果等からも明らかである。
皇極天皇2年(643年)、蘇我入鹿が山背大兄王を襲った際に
斑鳩宮は焼失したが、法隆寺はこの時は無事だったと考えられる。
日本書紀巻27に「夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘」
(天智天皇9年・670年に法隆寺は一屋余すところなく焼失した)
という記事がある。
この記事の真偽をめぐって、現存する法隆寺西院伽藍は
聖徳太子創建時のものであるとする説と、670年に全焼した後、
再建したものであるとする説とが鋭く対立し、
いわゆる「再建・非再建論争」が起きた。
なお、発掘調査や建築用材の伐採年代の科学的調査などの裏付けから、
現存する法隆寺西院伽藍は一度焼失した後に
再建されたものであるということは定説となっている。
ただし、皇極天皇2年(643年)の上宮王家(聖徳太子の家)滅亡後、
誰が西院伽藍を再建したのかなど、
再建の正確な時期や経緯については謎も多い。
焼失前の旧伽藍(いわゆる「若草伽藍」)は、
現存の西院伽藍の位置ではなく、かなり南東寄りに位置していた。
また、現存の西院伽藍がほぼ南北方向の中軸線に沿って
建てられているのに対し、旧伽藍の中軸線はかなり北西方向に傾斜している。
さらに、現・西院伽藍の建つ土地は、尾根を削り、
両側の谷を埋めて整地したものであることがわかっており、
なぜ、大規模な土木工事を行ってまで
伽藍の位置や方位を変更したのかは定かでない。
再建時期についても明確な記録はないが、
現存の西院伽藍の建築を見ると、細部の様式などから、
金堂がもっとも年代が上がり、五重塔がそれに続き、
中門、回廊はやや遅れての建築と見られる。
『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』によれば、中門の仁王像や
五重塔初層安置の塑造彫刻群は和銅4年(711年)の製作とあり、
この頃には西院伽藍全体が完成していたと考えられる。
なお、平安時代に書かれた『七大寺年表』には和銅年間に法
隆寺が建てられた、とある。
一方、八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、
天平10年(738年)ごろ、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子を
偲んで建立したものである。」ウィキペディアより
聖徳太子とゆかりが深い法隆寺、とはいうものの、
太子が創建されたときの建物がそのまま残っていたわけではないのですね。
聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたという説は
梅原猛さんの「隠された十字架」という本に出てきます。
うーむ、やっぱりナゾだらけ・・・![]()
今回、そのあたりの詳しいことはわからないのですが、
なにせ、「おいで」と言われたから来ました(笑)
みんなで歩き回るだけでも、かなりの浄化のお仕事でしょうか。
で、今回は、まず「夢殿」から拝観します。
*東院伽藍
「東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。
『法隆寺東院縁起』によると、天平11年(739年)、
斑鳩宮が荒廃しているのを見て嘆いた僧行信の創建である。
回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、
北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。」
*夢殿(国宝)
「奈良時代の建立の八角円堂。
堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。
*観音菩薩立像(救世観音)(国宝)
飛鳥時代、木造。夢殿中央の厨子に安置する。長年秘仏であり、
白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉天心とフェノロサが
初めて白布を取り、「発見」した像とされている。
現在も春・秋の一定期間しか開扉されない秘仏である。
保存状態が良く当初のものと思われる金箔が多く残る。」
さて、夢殿のある東院から西院へ。
これだけでもかなり歩きます・・・。
奈良のお寺は ひろーーーい![]()
だんだん 文字が多くて 保存できなくなってきました・・・。
ので、
つづく。


