「頑張らなければ」と言っている人に、

「何を頑張るの?」と聞いたら、

「とりあえず頑張ります」と言う。

「感謝しなければ」と言う人に、

「何を感謝するの?」と聞いたら、

「とりあえず感謝します」と言う。

えっと、

えっと、

えっと、


それって本当は頑張る気もないし、

感謝もする気ないよね?


「べき」「ねば」って義務だよね。

本当はやりたくないけど、

やらなきゃいけないからやってるだけで、

「頑張りたい」でも、

「感謝したい」でもない。


それはただの義務感なので、

ハートから沸き上がる感情じゃないよね。

義務感でやっても上手くいかないよね。

やってない自分に罪悪感感じてるだけだからね。

本音は「頑張りたくない」「感謝もしてない」
だよね。

自分の本音に気づいてない人は、

ずっとこの「べき」「ねば」で動いてるから、

義務と罪悪感でしか動かないのよね。

本音は「したい」だけのはずなんだけど、

本当にしたいことは、

言われなくても「しちゃう」ことだし、

禁止されても「しちゃう」ことだし、

実はそれ以外に大切なことは何もないのに、

本音と建前が違う人ってしんどいと思う。

「やらなきゃいけないこと」と、

「やりたいこと」って違うのよ。


そこに気づこう。

でないと、

ずっと義務と罪悪感だけの人生を送ることになってしまうよ。




お客さんでも、
「彼(彼女)欲しい、結婚したい」
と来る人がいるが、

実はその相談の裏にあるのは、

「親から離れたい」だったり、
「仕事をやめたい」だったり、

「世間体」だったり、
「長い付き合いになったし」だったり、

「子供を持つタイムリミット」だったり、
「自分が悪者になるのが嫌で、
罪悪感から責任取る」だったり、

「結婚するべき」
「結婚しなければ」
でするなら義務と罪悪感じゃないの?

何に対しての義務や罪悪感なのか?

世間に対して、

親に対して、

パートナーに対して、

それは知らないが、

「べき」「ねば」は、
相手に対して失礼だ。

(もちろん、結婚後色々あるだろうが、
せめて最初ぐらいは相手にゾッコンで結婚しようよ)

こういう、
義務感や罪悪感がなくても、

何の理由がなくても、
本当に一緒に居たい相手なのか?


うちの今旦那が元彼女と結婚するとき、
浮かない顔してるから、

「結婚決まった人間が、そういう顔してるの相手に失礼だよ」

と怒ったことがある。

「もう6年も同棲していて今更籍を入れても」

「もう式場も決まってるし、
せなあかんやろなぁ」

とため息をついていた。

「おかんも家を建ててしまってるし」

「えっ、何でうちが嫁姑原因で離婚してるのに、そっちまでそうなったん?」


ちょうどその頃、
私は前の旦那と離婚が決まったばかりで、
晴れて自由の身になっていた。

私も実は前の旦那の時は、
「旦那が私のことを好きだから」
で結婚していた。

旦那が私を結婚相手に選んでくれたから、

どうせ他に私なんかと結婚してくれる人も居ないだろうし、

仕事もやめたいし、ちょうどいい、

みたいな決め方だったような気がする。

まぁ「愛されている」という実感はあった。
が、自分から「愛している」ではなかった。

だから、
結婚式の司会の人の、

「お父さん、お母さん、見てください。
これが私の選んだ人よ」

というナレーションには、
恐ろしく拒否反応と違和感を覚えた。

(いや、選んでねえし)

彼の思いに答えなければ彼が可哀想、
彼を捨てて私が悪者になるわけにはいけない、

との義務感と罪悪感だけの結婚だったから、
やっぱり続かなかった。

はっきり言おう、

結婚とはさらなるリスクを負うことだ。

人生に逃げ場などどこにもない。

「相手を所有する」
「所有される」
という概念すら、
ただの打算でしかない。

直感が1番当たるのは、
計算が入ってないからだ。

ぶっちゃけ、
顔が好みで身体の相性がいいほうが続く。

理性とか知性とか、
そんなのどうでもよくなる。

人間なんてそんなもんだ。





今旦那に「なんで彼女と結婚するの?」と聞いたら、

「彼女が俺を好きだから」
と言うから、

「彼女が自分を好きじゃなくなったら、どうするの?」
と聞いたら、

「他に好きになってくれる子が居れば」
と言うから、

「来てくれる子なら誰でもええんや?
あんたは自分がないんやな」
ってキレた。

「流されるしかない、そうやって生きてきたから」
と今旦那に言われた。

「私はそれで失敗したので、
同じ思いを彼女にさせないでね」
と言ったら、

「君は俺が遠い昔に持っていた、
大人になってとっくに無くしたものを、
今も持ち続けてるんやね」

と言われた。

それは何なのか、
その時はよくわからなかったが、

今思えば「本音」かな。
大人になったら「建前」ばっかりになるから、

押し殺した「本音」を見ないようにして生きなければならなくなる。


私は離婚するまでは、
「本音」で生きてなかった。

親の顔色を伺い、
世間の顔色を伺い、

誰かに気に入られるように、
みんなに気に入られるように、

誰かの為に、
迷惑かけないように、
「自分の本音」を押し殺して生きていた。

それは、偽善者で犠牲者の人生だった。


本当の人生が始まったのは、
離婚してから、

自分で自分の人生を決めてから、
そこから妥協するのはやめた。

妥協したって、
どうせ途中で嫌になって、

文句ばかりで放り投げるなら、
何年も我慢してる時間がもったいなかった。

根性なしと言われても、
最初からもっと早く投げとけば良かった。

挙式後2ヶ月で、
今旦那は離婚したのだが、

元嫁は自分が愛されてないことをわかっていた。
バレてないわけがなかった。

愛のない結婚なんて、 
元嫁も寂しかったのよ。


「この人とでないと、
結婚したくない!」

この人となら、
結婚しなくてもいい!」


私はこのふたつしか、
今まで本気の恋をしたことがない。

リスクしかないのにやめられない、 
それ以外はただの雑魚だった。



「べき」「ねば」じゃなく、
「したい」か「したくないか」しかない、

それが「本音」で生きるってこと☆



カウントダウンライブ観に行ったなぁ✨