この世は「わからない」でできている。

とあるスピリチュアル系の教室で、

講師は言った。

この世界のありとあらゆるものは、

ものすごいスピードで点滅しているそうだ。

現れたり消えたりしてる。

そう考えると、

自分の存在など、

あってないようなものだ。

「生」と「死」が、

ほぼ同時に起こっている。

次の今この瞬間、

何が思い浮かぶのかは、

自分ではコントロールできない。

今、今、思い浮かんだその思考は、

実は自分のものじゃない。

ただ、

どこかにある人間の集合意識の吹き溜まりから、

情報を拾い集めてきただけである。

後生大事にしている、

その思考や感情も、

永遠の約束も、

忘れられない思い出も、

執着し尽くせばやがては消える。

確かなものなんて何ひとつない。

自分が誰でどんな存在で、

今まで何をやってきたかなんて本当はない。

明日なんて永遠に来ない。

私達ができることは、

ずっと今この瞬間瞬間に、

与えられる目の前の世界や、

自分のものだと思い込まされている、

思考や感情が浮かび上がるのを、

ただ見て感じるだけだ。

それを「自分のもの」と勘違いしているだけで、

ずっと「ない」のに「ある」と思い込んでいる。

この世界や思考や感情は、

「ない」も同然だ。

人は一瞬一瞬で別人に生まれ変わっている。

しかし、

ある一定の感情や思考にしがみつくことによってしか、

人は自己を確固たる存在にできない。

もともと「何もない」からだ。

生きることに意味はない。

ただ在る、

ただ生きている、

それだけでは、

自分の存在が消し飛んでしまうから、

強固にするために固定概念に執着するのだ。

それもただの分離でしかない。

本来はただひとつなるものから来て、

それぞれ与えられた(と思い込んでいるそれ)を果たしたら、

ただひとつなるものに帰る、

我々はただの概念で、

全部ひとつなるものだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

そこに何の制約も秩序もない。

今まで覚えた知識も常識も全てそぎ落としたら、

一体何が残る?

「これが自分だ」なんて証明できるものは、

何も残らないだろう、

何も。


「遊びをせんとや生まれけむ、

戯れせんとや生まれけむ」