ずっと心配で見張ってた人がいる。
私の恩人であり、家族以外では一番身近な人。
前世でのご縁もあるらしい。
そんな彼女に昨年の今頃から、怒涛のような試練が押し寄せた。
「こんなことってある?」
「神さまってホントにいるの?」
って疑ってしまうほど。
(神さま、ごめんなさい)
距離が近いだけに、「何とかしてあげたい!」という思いが強く、
反面、彼女のメンタルのアップダウンに巻き込まれて、自分の平常心を保つことも難しくなっていた。
「こうすればいいんじゃない?!」と助言したこともあるが、
渦中の彼女は、他人の助言を受け取ったり受け入れたり、それ以前に聞くことすら出来なかった。
(今から思うと、それが当然だと思う)
どんどん泥沼にハマっていく彼女を、ただ手をこまねいて見ているしかなく、
それがとてもとても辛かった。
「こうすれば良くなるかもしれないのに」という思いだけが強くなる。
だから、心配しながらつい見張っていた。
見張っているからか、どんどん悪いことばかり目につくのだ。
当時は悲劇的な結末しか想像できなかった。
私のメンタルもぐわんぐわん揺さぶられ続けた。
そんな折も折、心屋塾マスターコースを受講する中で、私の中に今まで心の奥底に隠しこんでいた真っ黒でドロドロの感情があったことに気づかせてもらった。
それは、「人の不幸は蜜の味」
気づいたときは、本当に本当にショックだった。
私の中にそんな私が存在したなんて!
信じられない!
…でも、「そんな私も居ていいんだよ〜」と認めたらすご〜く楽になった。
自己受容ワークの「ラスボス」?!
「私、彼女の人生を見張って、推理小説を読むみたいに楽しんでいたんだ…」
(↑私ってなんて酷いヤツ 笑)
それに気づいてから、何かが変わった。
時期を同じくして、心屋塾の同期が使った
「大丈夫の覚悟」
という言葉がズーンと胸に響いた。
大丈夫を覚悟すればいいんだ!
目からウロコが落ちた。
「彼女は、自分で解決出来る大丈夫な人」
「彼女は、自分で這い上がれる大丈夫な人」
「彼女は、自分で幸せになれる大丈夫な人」
そんなことがストンと胸に落ちた。
ホントに腑に落ちた感じ。
そしたら、「彼女を見張ってない私」を発見することができた。
私が見張るのをやめたら、気のせいかもしれないが、彼女はどんどん元気になっていった。
笑顔が増えた。
前向きになった。
意欲的になった。
「やっと自分を大切にするということの意味がわかった。
今は自分の土台を育てるとき。揺るがない自分を作る!」
そんな言葉を彼女から聞くことが出来た。
私の思いが現実を作る。
私が見張っているときは、真っ黒でドロドロの私が喜ぶような「不幸」がどんどん起こる。(目に入る)
見張るのをやめたら、「今までの不幸は何だったの?」ってぐらい、彼女のモチベーションが上がっていった。
もしかしたら、私が見張ることで彼女の不幸を呼び寄せていたのかも?!と思えるほど。
(だとしたら、怖い😱)
そして、私には「不幸」と見えた現実も、彼女にとっては「不幸」ではないのかもしれない。
価値観の違い。
なだらかな道とイバラの道があっても、あえて、イバラの道を選ぶ人も居る。
誰もがなだらかな道が好きな訳じゃないんだ。
そして、「不幸」や「苦労」に見えることは、自分を成長させるために必要だから起こってることもある。
全て必然。
自分の魂を成長させるために、お空の上で決めてきたこと。
それこそ、「順調に苦労している」のだ。
だから、私が良かれと思って助言することや、見張ることは、余計なお世話だったのだ、
価値観の押し付けになってしまっていたのだ。
(彼女が頼ってきたときに初めて、助言なり手助けなりすればいいのだ。)
そんな大切なことに気づかせてもらった。
ぢんさんや心屋塾の「大丈夫」の意味が、ようやく腑に落ちた。
「大丈夫の覚悟」ホントに素晴らしい言葉。
ご縁に感謝♡
