しばらく前、ある言葉を受け取りました。
私は瞑想や「手放す」だけでない
いろんな方法を含めた形で取り組んでいます。
身体をデバイスのように使うことで、
言葉よりも明確な答えを得たり、
どこがまだ通っていないかを知ったり、
通った部分を知ることでそこを
新たな共鳴会話通路として使えるようになったり
松果体に座したり、胸に座したりと
チューニングを合わせる座を使い分けることで、
情報や方向性を得たり、
信念やトラウマの裏にある本当の愛の意味を知ったりがスムーズになったり
時間について深く知り
時間というトリックを知り
その時間に行って体感することで
サイキックかと思うような自信になったり
しています。
これらはすべて
「自分とは別の存在たち」であり、また、
「共鳴により自他の区別のないやりとりを
する自分である大きな存在」でありの
それら存在との対話能力につながってきているようです。
これは
自分がより「本当の自分」「本来の周波数」
としていられるようになることにより、
すでにあった新たなフィールドに
チューニングを合わせられるようになる、
ということなのだと思います。
そこには
いたのに気づいていなかった存在たちがいて
言葉ではなく涙と共に
すべての意味がやって来るようなものだったり
上から来る音を 地に流して
自分が全開通して新たな会話通路となって知り
新たなフィールドに移行したようなものだったり
地の振動が自分に流れて
ドドドドとなって
地が喜んで振るい立つのが分かり
地が何をしたがっていたかが分かり
地がこの世をどうしたがっているかが分かり
それが私のほしかったものだと分かり
私と思いや方向が一致してるのが分かり
その”地・振動”を
自分とは別の”仲間” ”同志”のように感じて
「私はひとりじゃない 私一人でやるんじゃない
一人でやらなくていい」と思ったりです。
それら機能を使って取り組み始めるきっかけは
毎回大それたことでもなくて、
自分の思考、感情、トラウマについての
ことだったり、
世のおかしなことだったりします。
でもそれが実は大ごとで、
自分のフィールド、集合意識フィールドに作用する。
— それら存在は、ドラゴン、天使、その他などとも象徴され、その話題や現象がこの現実世界にも現れます。そして実はそれらは神話ではなく実在するもの。それら存在がどっち側に立っているかについても識別が必要とも言えます。 ―
だから、瞑想しているのみよりも
主導権や「教えて」の積極性、
「見る・感じる・聞く」の積極性が私の側にあり
それに喜んで共鳴する存在たちがたくさんいる。
― 私は、自と他を別々のように書いていて、それが「ワンネス」という概念に反しているように聞こえるかもしれません。私にとっては、確かに一般的にワンネスとして理解されてものとは違うと言えそうです。自と他は別々でもあり、別々でもない。別々だという認識あってはじめて助けや協力といったものが生まれ、共鳴すると理解が来て、別々だったものが自分に含まれ、別々でもあり別々でもない状態になる。自分だけど自分じゃないがあるから、対話の手段が変わったというだけなのかもしれない。―
話がそれていってしまいそうなので
ここでストップします。
冒頭で
「しばらく前、ある言葉を受け取りました・・・」
と書きました。
この内容はしばらく一人で持っていました。
でも書きました。
響いている方がいるかもしれません。

