スピリチュアリティ情報を知ってしまった利口な思考は、いつしかとても神秘的すぎるスピリチュアリティに走り、知らぬ間に高い理想を描いている。


作った理想と比較して、上手くできているかどうかをはかり、それだけを気にかける。


「いつか分かるはずだ」が染みついていて、そう染みついていることにも気づかない。


その思考は除外されて疑われない。


今上がってきたものを赦すだけだ、そう言いながらも未来への希望を抱いている。


今そうではないからこそ

未来に希望を抱かずにはいられない。


それというのは、今に対する不満で、不満カテゴリーなのにそうは認識しない。


それでいて「自分に優しく」と言う。

「ゆっくりあせらず」などとも言う。

 

本当の意味で自分に優しくと言うのではなく、未来に持ち越す意味でそれを言う。


どこまで行っても未来がつきまとう。



--------------------



自分に優しくというのは、

本性としてそれが当然だからこそ優しくする。


“いま”優しくするのが当たり前だからこそ

優しくする。


それが優しくする理由。


未来に持ち越していいよという意味ではない。


未来という意味で言ったとしたら残酷なのでは?


「今は無理ですよ」の肯定なのだから。


一時的な気休めは悲しい。


一時的な励ましも悲しい。


聞いたことのある言葉を

そのまま言うのも悲しい。


でも今優しくする意味なら、とてつもなくパワフルな言葉だろう。今の事実を言っているのだから。




言葉は形で、意味にはギャップがある。


私は何種類もの

「自分に優しく」を聞いてきたと思う。


これからも聞くと思う。


解釈は起こる。


でもこれからは

誰がどういう意味で言ったように聞こえても、当然だからこその「自分に優しく」と感謝を込めて大切に聞くことができる。


それは相手の本性である

スピリットが送ってくれる言葉で

未来が含まれていない

今の事実として思い出させてくれる

自分の本性についての大切な言葉だからだ。


それは、心から本当に

今そうしようとするほどのこと。


自分にふさわしい状態を思い出させてくれている。


今まで何度この言葉を伝えてくれていたかを思い、胸に手を当てたくなる。