スピリチュアリティ情報を知ってしまった利口な思考は、いつしかとても神秘的すぎるスピリチュアリティに走り、知らぬ間に高い理想を描いている。
作った理想と比較して、上手くできているかどうかをはかり、それだけを気にかける。
「いつか分かるはずだ」が染みついていて、そう染みついていることにも気づかない。
その思考は除外されて疑われない。
今上がってきたものを赦すだけだ、そう言いながらも未来への希望を抱いている。
今そうではないからこそ
未来に希望を抱かずにはいられない。
それというのは、今に対する不満で、不満カテゴリーなのにそうは認識しない。
それでいて「自分に優しく」と言う。
「ゆっくりあせらず」などとも言う。
本当の意味で自分に優しくと言うのではなく、未来に持ち越す意味でそれを言う。
どこまで行っても未来がつきまとう。
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自分に優しくというのは、
本性としてそれが当然だからこそ優しくする。
“いま”優しくするのが当たり前だからこそ
優しくする。
それが優しくする理由。
未来に持ち越していいよという意味ではない。
未来という意味で言ったとしたら残酷なのでは?
「今は無理ですよ」の肯定なのだから。
一時的な気休めは悲しい。
一時的な励ましも悲しい。
聞いたことのある言葉を
そのまま言うのも悲しい。
でも今優しくする意味なら、とてつもなくパワフルな言葉だろう。今の事実を言っているのだから。
言葉は形で、意味にはギャップがある。
私は何種類もの
「自分に優しく」を聞いてきたと思う。
これからも聞くと思う。
解釈は起こる。
でもこれからは
誰がどういう意味で言ったように聞こえても、当然だからこその「自分に優しく」と感謝を込めて大切に聞くことができる。
それは相手の本性である
スピリットが送ってくれる言葉で
未来が含まれていない
今の事実として思い出させてくれる
自分の本性についての大切な言葉だからだ。
それは、心から本当に
今そうしようとするほどのこと。
自分にふさわしい状態を思い出させてくれている。
今まで何度この言葉を伝えてくれていたかを思い、胸に手を当てたくなる。
