『真理はあなたの欲求を通して取り戻される。

 真理は、あなたが

 真理以外の何かを欲することにより

 失われたからである。』

 

今年の3月に1週間のA Gospel of Love Pilot Course、4月に8週間のMystical Christ Academyに参加しました。

 

ただしるしについていき、訳も分からずサインインしました。オープンニング前のセッションの時にはじめて、提供するリビングミラクルズのみなさんも、このコースがどう進むのかを誰も分からず、彼らも共にガイダンスを聞きながら提供し、たどるのだということを知りました。

 

日本人は私一人でした。世界中から集まった人たちは、呼びかけを聞いてサインインした様子をシェアしました。みんながどれほど強烈にインスパイアされて集まったのかを見て、自分が、どれほどとんでもないところに入ってしまったかを思いました。

 

それでも、みんなが私と同じように助けを求めて、よく分からず興奮と期待と共にいる様子に、みんなも私と同じなのだと感じさせてくれました。

 

毎日毎日、動画クリップ、映画がクリップふんだんに用意され、セッションがしょっちゅうあり、他に何もできないほどにみんながアカデミーにフォーカスすることになりました。

 

はじめは、100名ほどが同じボードに乗り、豊富さでもあり大量さでもあるものに圧倒され、訳がわからなかった。ついていけるのか不安になりつつ、心に色んなものが起こりつつで、みんな、ボートから降りないようにしがみついているかのようでした。

 

そんな思いをしているのは私だけなのかと思っていましたが、みんなも同じ状態なのを知って、幾度どなく安心させられました。上がってくる無価値感は何度も消されました。

 

いきなり最初のセッションで自分が画面にアップになって恐ろしい思いをしました。感謝が込み上げて泣く恥ずかしさと、うまく話せない怖さの中、みんなからの感謝の思いや敬意の目は、どれほど私を救ってくれたか分かりません。

 

その、私もここにいていいんだという感情は、アカデミーについてだけではなく、天の国にいていいんだという意味の擬似感覚のようでした。

 

ジーザスは、私が自分からは一度も手を挙げずとも、画面に引きずり出してアップにしたり、祈りをお披露目して恐れさせたりしながら、参加者の一人である資格があるという安心をくれました。

 

 

 

 

ボートに乗り始めたころは、みんなが本当に必死で、圧倒され、かつかつな様子でした。

 

けれども、終わるころには、直に会話をしていなくても、全員が互いへの感謝にあふれ、深い親密さがあり、ファミリーで、強力な友でした。みんな穏やかで、必死さは消え、愛しているのも愛されているのも感じ、ボートは、勝手に私たちを一つところに運んでくれました。

 

最後のクロージングセッションでの、誰も今ある闇のことなど話さず、誰の口からも感謝の言葉を出すことしかできない様子は、本当に素晴らしかった。

 

デイビッドありがとう、誰々ありがとうでなく、誰もが「みんなありがとう」と言いました。

 

 

オープニングの時の私の祈りは

「私はますます助けが必要だと感じています...」

 

クローズのころの祈りは

「生まれて初めて、わたしは『私は一人ではない』ということを感じていると思います。以前はその意味がよく分かっていなかったのです。マイティコンパニオンの存在がどれほど私を助けてくれているかにとても感謝しています。ジーザス、スピリットとの関わりも近くなったように感じています。みなさんがいてくれていることと、あらゆる質問やシェアに感謝しています。」

 

祈り、答えられた。想像もしていなかった、こんなものが存在するは思ってもいなかった「助け」を得ました。本当に得たと心から思うほどに。この最初と最後が画面に登場したことも私にとっての深い意味の一つです。

 

 

 

 

そして昨日、久しぶりに、

アカデミー卒業生を呼び集めてくれました。

 

画面で顔を見るだけで込み上げるものがありました。

 

アカデミーロスを感じつつ、互いにつながっていて一人ではないことを感じつつ過ごしてきたこの数ヶ月は、私だけでなくみんなも、いろいろあるようでした。

 

リトリトリートが終了したのも重なり、みんなに大きな変化があります。

 

 

 

卒業後の様子をシェアしてくれました。

 

強烈な体験をした後のあの揺さぶりの大きさを、みんな体験していました。

 

たくさんの変化、環境が変わり奪われて何も無くなっていくかのような葛藤の体験、手放したいけれど手放せない恐ろしさ、まだその葛藤にいる人、葛藤を抜けた人......

 

多くの人が真っ最中でした。

 

その中でも、恐ろしいプロセスを抜けた人は、幸せな様子を見せてくれました。

 

この体験をしているのは私だけじゃなかったと思わせてもらうのと、プロセスの先は絶対に安全だという様子を知らせてくれたことは、私にたくさんの勇気と、後ろを振り向かない強さを与えてくれました。

 

「私たちは一人ではない」の意味は

「友達がいて、グループもあって、その中で同じ目的に取り組んでいて、それぞれが色んな体験をしながら励まされて...」「聞いてくれて、癒してくれていて助けてもらう」というだけのことではない、もっと深いものがあります。本当にそれぞれではないもの。

 

ずっと心がつながっていて、本当に心にいて、何かを見せてくれる赦しの対象ということでもなく...... とても書くことはできないけれど、とにかく心からの一人ではないという意味。会えない寂しさは分からず、大好きで、互いに心にいるくらいつながっている。でももちろん、会うととんでもなく嬉しい。

 

ファシリテーターのエリックは、これからもつながってどうか助けさせて欲しいと言いました。私は、自分がいくら助けを拒んでも放さないでいてくれる、「どうか助けさせてほしい」という強烈な懇願を感じました。

 

最大のダークさの中での、奮い立つ光で、ずっと闇にいることなどできない助けで、どれほど大きくて優しい手が自分に向いているか。

 

 

 

 

それらのおかげで、やっと久しぶりに、理由が分からずに込み上げる涙が戻ってきました。

 

トレーニングのような導き以外の、優しいアイテムも登場するようになりました。見ては涙し、読んでは涙し、美しいものを感じています。

 

今は妥協のない選択と観察をし続けるトレーニングに参加しています。真の自己がどれなのかどこなのかの大逆転にパニックにもなり、開けたことない蓋も空き、きつかった。

 

すごくシンプルなのに、実践的で忙しくなり、優しさのゆとりの入れ方も分からくなっていました。あっちのやり方とこっちのやり方がバラバラで、仲良くなってくれなかった。

 

でも海を超えて集まった多大な応援のおかげで、愛が加わってくれ、愛の優しさと観察が溶け合い、優しく甘い目でできる新しい観察が生まれ出しました。

 

何か月も前に買ったのに届いていないと思っていた本『All I Am Is Love』も、ずっと前から届いていて、すでに持っていたのも知りました。

 

 

 

 

愛の力は強烈すぎるのでしょう。

 

その愛の強烈さを受け取るためには

いつも

まず拒むのをやめる準備が必要で。

 

その準備に役立つのが苦しさで。

 

苦しければ求め

自分も壊れてくれます。

 

 

 

『真理はあなたの欲求を通して取り戻される。

 真理は、あなたが

 真理以外の何かを欲することにより

 失われたからである。』

 

欲求によってしか取り戻せないものだから

ただ欲求によって取り戻すのです。