映画『バービー』。

強いインスパイヤから、1時間車を走らせて、1人でナイトショーに。8月13日。

 

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このインスパイヤのパターンの時の

お得意の感覚と対応法がある。

 

マインドトレーニングとはよく言ったもので、この対応法はトレーニングと経験と信頼の成長からコツを身に着けたものだと思う。そうでなかったら、絶対に実行したりしない。

 

「面倒だ、行きたくない、行かなくても別に」という声と重い感情。これに耳を傾けず、無視しながら、とにかく体だけを動かさせる。

 

スマホでサイトを開き、座席を選び、チケットを購入する。「購入ボタンを本当に押すのか?押したら行かざるを得なくなるぞ」という声を無視して、指にボタンをタッチさせる。時間になったら車に乗ってエンジンをかけ、アクセルを踏む。

 

手を止めたり、何かを考えたり、行きたくない気持ちを一瞬でも聞き入れたりすれば、このモードが全部崩れるのが分かっている。このインスパイヤはヤバいやつだ、実行するやつだと分かっているから、怖くても、引き込まれないよう保っていないといけない。

 

こうして、心とはまったく裏腹に段取りを進める。

 

 

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これが、肉体をスピリットのコントロール下においているということか...?

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私は夜中でも一人で山道を運転することができるし、獣が出るデコボコ道も平気なのに、道中もずっと 少し怖い気持ち。自我の煙がまとわりつき、それを払いもせず、淡々とアクセルを踏み続ける。

 

駐車場へつくと、急に「独り」という感覚と「一人ぼっちでこれからずっと旅をする」という不安が押し寄せる。いよいよ旅のドアの前に到着したような怖さ。

 

車を降りて、「これはすごいやつだ」とつぶやきながら映画館に向かって歩くこと約100m。

 

「独り」という感覚があまりにも強くなって、それで分かったのは、これから本当に私とジーザスとの2人っきりの旅だということ。娘だとか友達だとか、人間としての人を期待した上での関係を握っている手を放して、旅をする。

 

「この世界に2人ぼっち」

 

でも、この世界に2人ぼっちの怖さと寂しさは、歩きながら切り替わっていった。頼るものがジーザスしかないよいうな気持ちに追い込まれて、同時にジーザスが近くて大きな存在になり、面倒を見てもらえている安心に変わった。

 

「2人ぼっち」は最強になったけれど、形のないジーザスについて、いつもいてくれるのかどうかの不安を抱いているのは自覚している。形がないからこそ巨大なのに、小さな形を欲しがっている。

 

この時に、娘がなぜ付き合ってくれなかったのか分かった。私一人で、誰のためでもなく自分のためだけにやっていなかったら、2人ぼっちになれなかった。

 

そして2人ぼっちとはいえ、他の人を排除して無視しているのではない。他の人は2人ぼっちの世界に美しく登場している。より素晴らしい存在として。

 

たかが映画なのだけれど、

これは単に映画に行くかどうかではなくて

何かに向かってダイブしている。

 

自我を振り切ってダイブすることによる、何かの花が添えられている。

 

会場は、大きなシアターに15人ほど。

素敵な貸し切り感。

 

ジーザスが解説してくれることを頼りに座る。

不安と恐れと緊張。そしてオープニングで涙がこぼれる。

 

なんでしょう。

「ああ 助かる」という気持ち...。

 

結局、何度も涙がこぼれながら観ました。

 

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映画は...

 

ただの「自我としての自分を愛する」を打ち立てたストーリーではなく、真の自己、つまり「What am Iの答えは何?」「見出したい」というところに連れて行ってくれる映画です。

 

「What am Iを見出す」自体をゴールとしていないということを知っているのがポイントなのは、それは自分の体験で知ることしかできないからで、神が最後の一歩を踏み出してくれる時がそれが分かる時なのでしょう。

 

「私って何?」がないと、何が私なのかを知りたいという欲求が生まれない。

 

「私って何?」の前に、私ではないものについても見分けて「いらないものだ」と認識する必要がある。

 

だから私の経験では

「What am I」の疑問に到達すること自体が素晴らしいこと。

 

 

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いま私は、様々な概念が邪魔をしているのに気づいています。

 

コースの概念、すごい人から聞いたことのあるもの、過去に学んだもの、真理の言葉も、神という言葉すらも。

 

概念に到着しようとして、本体に到着しようとしないギャップを感じているからです。

 

手段を求めていて、今ある答えに入ってしまおうとしないギャップを感じているからです。

 

本当に脇において、頭を使わずに、考えを使わずに、本当に自分とは何なのかであろうとすることは、いま私にとっての大きなカギです。

 

それは 概念を使わずとも

簡単に知っているはずのもの...

 

とても豊かで、安心で、完璧で、巨大で...

 

自分だと思っていたものではないもの...

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この映画は、最後には、

ギャップや 概念としての自分に気づき

 

そしてとうとう

What I am?という疑問そのものに

気づいた子が

 

神聖な夢としての世界なのか

ちょっと神聖になった世界なのかを

生きようとする方向に向かいます。

 

天にいたアダムとイブからはじまります。

 

アダムとイブがバービーとケン。

 

トゥルーマンショーよりも

もっとオモチャの世界で

その過程や心の変化を

軽さとバカバカしさを使いながら

見事に現してくれています。

 

コミカルさと一緒に

笑いながら観ることができます。

 

最近よく

「真剣になるな、深刻になるな、夢だ」

ということを聞いていました。

だからその点でもこの映画は素晴らしい。

 

また、バービーの世界が本当なのか、この現実世界が本当なのか、それらをぐちゃぐちゃにして、つながりを見せて、上手に描かれています。

 

 

 

心を開いてスピリットと見れば、自分をたくさん後押ししてくれるものがあるはずです。きっと本当は、今自分の奥深くで感じているものが正解だと分かっているからです。

 

映画中、スピリット、ジーザスが

解説してくれるはずです。

「これが君が今やっている

 プロセスそのものだ

 振り返るな 安心してそのまま進め✨ 進め✨」

と励ましながら。

 

「なぜジーザスはこれを自分に見せたかったのか」を感じるたびに 涙するかもしれません。

 

私が幸せなら 世界は幸せ

私が神聖なら 世界は神聖

 

祝福を❤