昨日まで激しい怒りが続き、そのターゲットは母親一点に向いていた。特に、彼女のpeople pleasingの強弱の激しさ、人に対する不平等な扱いについて腹を立てていた。私の中では怒る正当な理由の筋が通っていて、周囲の人たちさえまでもが、彼女について私と同じように思っていることを示す。

 

本当におかしいと思うのは、昨日、娘まで私と同じ理由で母とけんかして激しく怒り続け、また甥っ子もこの間泊まりに来た時に「ババはみーちゃんにだけ冷たくて、みーちゃんかわいそう」と見ていたということが昨日わかったことだ。

 

ここまでくれば、思いっきり安心して取り組み、実験することができる。どう見ても私のためにおかしなことになっているのは明らかだからだ。

 

エクスプレッションセッションで、みんなの話を聞いていて、さらに確信させてくれたことがあった。おかげで、私は今までそこまで強くはやってみなかったことについての決意が起こった。

 

「私よ、怒れ!そのような狂気を愛する必要はない。そのような相手を徹底的に受け入れるな。何一つ、その相手の言うとおりになんかするな。狂っているものを狂っているものとして扱え。」

 

普通の人としては、これはとてもひどいことと言われるだろう。けれど勘違いしちゃいけないのは、この方法には次の補足があるということ。

 

「ただし、私が怒りの対象とするのは相手に見る私のエゴであり、相手本人ではない。また私自身の中に湧く思考についてもエゴとみなし、私の中で好き勝手怒らせてやれ。」

 

そして、私は自由に相手を怒り、馬鹿にし、自分の感情や思考を体験すること選んだ。確信がありつつ、実験してみる気分だった。そして、相手に対してこんなにひどいことをしてみようとしているのに、「これが、本当の、愛の目で見るということだ」と思っていた。

 

 

 

そこまで腹がくくれると、素敵なものが見えてくる。

 

相手に見るものも、自分の中に起こる思考や感情もまったく同一のもので、起こっている場所が違うように見えるだけだ。どちらもひどい狂気だということが、心から感じられた。こんなものをもし神が愛せと言うなら、神は相当にひどい人ということになる。でも神はひどくない。神はこんなものを愛せとは言わない。神は、狂気を愛せなんて言っていない。だからこの方法でいい。

 

 

 

そうして進み、神が言っている答えが

「それらは実在しない」

だということに行きついた。

 

誰かのふるまいやストーリーも、私の心の中に起こるものも、どっちも実在しない。

 

間違っているのは、ただ一つ、

それらが実在すると思っていること。

 

そして答えは

実在しないということ。

 

以上。

 

 

 

 

実在しないものを大きく怒ろうと、小さく怒ろうと同じ。つまり、怒ること自体に対して罪悪感を抱くかどうかの問題ではないということ。むしろ、それこそがガイダンスで、「怒っちゃいけないんじゃない」ということ。

 

私にとって、怒りは素晴らしいガイダンスということにカチッとはまった。これは、数日前の授業の時に、「私の星にとっての怒りとは?」について、生徒さんと一緒に掘り当てた答えの一つで、それを実体験したようなもの。

 

 

 

 

結果的に、母親に対して人としては優しくないように見える態度をとることが愛ということになり、people pleasingは一切なしだと実行した。

 

それを疑いなくやり始めることができ、先日見た量子映画が驚くほど助けてくれることになった。指がソーセージになってしまった世界なんて、誰が本気にとらえる?滑稽でしかない。おかげで、今自分がいる状況が、とても滑稽に見えてきた。「今ここで起こっていることは、あの、指がソーセージの世界と同じだ。量子世界なんだもんあり得る。」とそのシーンが何度も助けてくれてた。よくも、こんなに深いテーマに、あんなふ風にくだらないことを上手に盛り込んで作ったと、あの映画には脱帽しかない。

 

 

 

そして今朝も、母親エゴからの逆襲があった。腹を立てている様子をまじまじと見せたり、わざとモノをぶっきらぼうに扱って、わざわざ大きな音をたて、いら立ちをアピールしている。

 

けれども今日は、なんと、私はそれを見て噴き出した!本気に捉えることができなかった。

 

やった!

 

これまで、急に母をハグしたり、甘い言葉を言ったり、キツイ「No」を言ったりと、ガイダンスに従って従ってといろいろやってきた。けれども今回のは、とくだんNewバージョンのように感じる。

 

 

 

 

 

コースの読み方を間違えれば、怒りがやっちゃいけないことになってしまう。けれどもそうじゃない。狂っているけれど、狂っちゃいけないと言っているのではなく、狂っているものが存在していないと言っている。

 

それを実行するには、知識と、ボキャブラリーと、軽さが、たくさん助けてくれる。

 

応援もたくさんきてくれる。

友達が確信させてくれ強化してくれて、映画や歌ががリアルな知識をくれて、微妙なニュアンスを教えてくれる。

 

朝から、新しくつながった絶対的に信頼できる友達エスターが深い静かな曲を送ってくれもした。言葉一つ、絶対にガイダンスにしか従わない人からのアクションは、私にとっては意味が大きくなる。簡単に全面的に受け入れることができる。それが世界の向こうから、突然、ちょうどいい日に私のもとへ飛んでくるなんて、私の大好きなストーリーだ。彼女の私への感謝の言葉と、その曲の深さは、静けさにアクセスする時間をくれた。

 

鑑定では、知らぬ間にある人に奇跡が重なっていたようで、何年も鬱で苦しみ、ひどい怒りを抱えている人本人が母親と来た。「...そういうわけで、たまたま今日は体が動けて、たまたま来る気になった」と。もちろんその人は、怒りを肯定してもらうことになり、だからこそここでどう生きたらいいかの第一ステップを得て、キラキラした希望を見た。そこで話させてもらった答えが全部私への答えだと分かる。その人は私に「いい意味で変わり者だ」と親指を立てたグッドサインをしながら言ってくれた。

 

こうして、腹をくくってから一日で変わったこと自体の中でも、いろいろなことを証明してくれている。

 

自分の中の力強い強さも感じる。