奇跡的なことが多くなりすぎていることに、恐れが湧き、ガイダンスを聞きたくなくなっている。静まることも避けている。


本当におかしな話だ。


奇跡的に手配されたもの一つ一つについては何一つ心配していない。むしろ「私は何を話すことになるのだろう」「私はどうそこにいることになるのだろう」「何を教えてもらえるのだろう」と楽しみにしている。


それなのに、この全体を見ると、大きな恐れが湧く。一つ一つがマンガ以上にあからさまに奇跡的であること自体が、怖いのだ。絶対に、ジーザスの手配だということ自体に怖くなっている。


「こんなことが起こり得るなら、もっととんでもない手配もあり得る。それにもっとたくさんの量がくることもあり得るということだ。このまま祈りつづけたら、もっと来て私は押しつぶされる。奇跡にこれ以上来てもらっては困る。」


どう見ても、そんな風に感じている私はおかしい。


一つ一つを考えればまったく嫌ではないのに、この力のすごさ自体を嫌がっている。


こんな風に思うことになるなんて、想像もつかなかった。あれほど美味しい体験を喜び、もっと体験したいと思っていたのに、世界がジーザスの手配でどうにでもなる規模が予想以上で、なぜか急に怖くなっているのだ。


この恐れも、向き合って沈んだら、きっとすぐに無くなるだろうともわかる。でも、まだ、私が制限する分しか受け入れたくないからと、向き合う時を先延ばしにしている。あの手配と、あの手配をこなし終えたら祈ろうなどだ。一日10個ものものは来てほしくなくて、3つくらいに抑えたいのだ。そうじゃないと、せっかく3つを深くのんびり楽しみたいのに、あっちもこっちもやっていたら忙しいとか気持ちが追いつかないとか。いろんな、訳の分からない言い分がある。


ここまで頭では分かっていて、それでも嫌がるとは、どれほど愛を恐れているかだ。