気づいて涙が噴き出る。必死に祈っているとき、むしろ祈れずにいるとき、たとえば...「ああ、怒りが湧きます。私の知覚は間違っているはずです。でも、間違っていると思えません。赦したくありません。でもできることなら赦したいのです。けれど、私にはどうしようもないようです。赦したくないので、あなたに頼むことすらできなくなっています。どうやって赦せばいいのかも分からなくなってしまいました。あなたを遠く感じます。あなたに助けてとも言えないほど、あなたを感じなくなってしまっています...」


... こうして嘆いているときに、

実はどれほど神を愛しているか。




寂しくて不安で泣いている子は、ごまかしのおもちゃでは泣き止まない。お母さんに抱っこしてほしく、ずっと抱っこしていてほしいと泣いている。それは、お母さんがいちばん大好きで、いちばん安心だからだ。そしてお母さんが自分を大事に思ってくれていることも十分に分かっている。だから泣く。




この子が泣いているとき

お母さん大好きと泣いている。


大好きなのに届かなくて、

届いてきてくれなくて。




赦せない、赦したくない、あなたが遠いと

私が泣くとき、私はその子だ。


そして泣いた瞬間、神に出会う。


その後も泣けば泣くほど、神が近くなる。


そのとき、すべてが解決するだけでなく

それ以上のものを味わう。




たくさん泣いているまさにそのときにこそ、

どれほど一心に神を思っているか。


アバ!アバ!アバ!


私たちが泣いているとき

アバをとても愛しているということだ。


私は実は愛している。

愛しているから泣く。


そして神の心がいたたまれなくなるほど、

神が無視できないほど、

大声でしつこく泣くこと

これが四六時中であったら...


これらのことに私はとても感動した。