呼吸の信念と赦し

新しい状態と二つの世界

 

 

 

この高速エレベーターは今日どこでとまるのか予測がつかない。それが嬉しく、予想もしなかったような答えがあり、見つかる新しい心のポジションがある。

 

エレベーターはどこまでも高く、小さな自分はどんどん死に、下へ下へと延々に落ちていく。だからパウロが言うように、毎日毎日、死ぬことを楽しんでいるみたいだ。

 

壁を叩きたくなるような強烈なものも上がってきても、それは必ず思ってもみなかった優しい答えになるだけのことで、死にたくない負けたくないと一瞬感じたことはすべて間違いで、かえって生きることになる。

 

なんて素晴らしい道だろう。

 

 

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最近のいちばん驚いている発見は、自分の肉体についてのことだ。「自分の肉体は外のもの」。自分の肉体を他人のように感じることができる。

 

「この世界」と言うとき、

自分の肉体も単に「この世界」。

 

こう思うことになったのは、

呼吸の新しい状態を見つけたからだ。

 

10年近く苦しく、どうすることもできなかった息について、解決に向かっている。

 

 

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私の肉体の呼吸は

実は 私の外で起こっている。

 

そして私の中の呼吸は、別途、

もっと内側で起こっている。

 

その、内の呼吸は、とてもかすかで、呼吸しているのかしていないのか分からないほど。たまに呼吸し、しないこともある。本当に心地よく気持ちがいい。外の呼吸が止まっていてもまったく苦しくなく、むしろ外の呼吸が止まっていた方が心地よく、外の呼吸がどれほど苦しいものだったかと思う。

 

はじめは、自分は息をしていないのではないかと思い、慌てて息しようとした。でも自分が苦しんでいないことに気づき、呼吸しようとするのを我慢した。すると、呼吸していなのに苦しくなく、むしろものすごい心地よさがあった。

 

呼吸しようとする衝動はとても強くて、その衝動におそわれながら、とてもコントロールしながら、呼吸しないことを保たなければならなかった。「息をしなければ苦しい」という信念に向き合っているようだった。

 

そのときに思ったことは

「息さえも、ゲットしようとしていたものだった」

 

内の呼吸は、きっとずっとしていて、それだけでいいのに、足りないと思って外の呼吸をつけ足していたのだろう。朝目が覚めれば過呼吸の状態になってしまっていた。

 

 

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これらは、ヨガナンダが勧めていることができずに悪戦苦闘している最中に起こったことだ。もちろん、ヨガナンダは息をしないようになどと言っていない。

 

息を止めるのとは違う。息は外で起こっている。そして起こっても起こらなくてもいい。

 

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とても変な話だが、外の呼吸と内の呼吸という風に、呼吸が二種類あるように感じているということになる。

 

そして、一方の呼吸中は穏やかな世界と流れを体験し、もう一方の呼吸中はそれと反対の世界が展開する。

 

前者は心地よい中で、今もうすでに安らぎと嬉しさがある。それでいて上に進ませてくれるとも思っている。

 

後者は何かいいものがこれから得られるのではないかと、ゲットすることや達成することに夢中だ。

 

二つは別世界で、目的も動機もまったく違う。

 

呼吸への信念が教材のレッスン。

 

 

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そして今朝は、「もう息しない」と思った。それが今日のレッスンともうまく重なる。

 

今日のレッスンには「目的は、一日を通して誘惑からあなた自身を守ることにある」とある。

 

息をしようという誘惑や

考えたいという誘惑から私を守る。

 

私が私を誘惑から守る一日。

 

人と話すにも、作業をするにも、

ずっとその中で流れたら、どんなに素敵だろう。

 

 

ヨガナンダのプログラムだけでなく、聖書や、St.フランシスや、ギータや、ルーミーや、LCMライブのおかげも大きい。心に直接触ってくれて、新しいドアをノックしてくれ、ドアをキラキラさせてくれている✨✨✨