私と息子は一緒にたどりついた。
だから
罪悪感を抱かずに咎めよう
罪悪感を抱かずに苦しもう
と。
罪悪感を抱いた、息が苦しい、胸が痛い、誰かを咎める思い...そう思ったことに対しての罪悪感、この二重の罪悪感こそがいらないのだから。
罪悪感なしに見るどころの話ではない、罪悪感を抱かずに咎めよう、罪悪感を抱かずに苦しもうと、私たちは一致した。
そして今朝 ああ。
スピリットは教えてくれた。
この世界のすべて ― 人、物、環境、空気、花、私の思考、私の感情、誰かの思考、誰かの感情、誰かのふるまい、アローでさえ、家族でさえ、息子でさえ、友達でさえ、ジーザスでさえ ― このすべてのすべてが剣だと。そしてその剣に自分を貫かせるのだと。
誰かの体からピカピカに光って尖った剣が無数に出ている。そして、それでも、力強くつながりに行く。その剣が私に刺さって痛かろうと、血が出ようとかまわない。それでも、一つになるために強く抱きしめる。
自分に湧いてくるどんな思考にも感情にも、私の心臓を突き破らせる。
そして疑うのを辞めようと思った。私のこの長年の胸の痛み苦しみは、世界を自分とは別のものにしておくためのシールドだったことを。神を思うたびに一瞬で出現してきたシールドであってきた。
内からであろうと、外からであろうと、どこからのどんな剣にも、このシールドを突き破らせよう。
これが今私に必要な
“If anyone slaps you on the right cheek, turn to them the other cheek also.”
「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」
の方法。
これが私の防衛しない方法だ。
そうしながら朝の散歩に行く。空気という剣に私を貫かせ、湧いてくる思考という剣に私を貫かせ...
そうして、昨日見たこの絵とともに言葉が響く。
「私がシールドだ」
この絵にはこの言葉が添えてあった。
I love you, O LORD, my strength.
The LORD is my rock, my fortress and my deliverer; my God is my rock, in whom I take refuge. He is my shield and the horn of my salvation, my stronghold.
Psalms 19:1,2
主、わが力、あなたを慕います。
主はわが岩、わがとりで、わが救い主
わが神は 逃げ込むわが岩。
わが神はわが盾、わが救済の角、わがやぐら。
ああ。
私が自分で作ったシールドを剣が突き破り、
ジーザスという本物のシールドが
本物の機能を果たしてくれる。
本当に善きもののみを残し
それ以外のものは私の体を貫いて通り抜けていく。
剣が喉を突き破り
心臓を突き破り
肉体を突き破り
もう自分がボロボロになっても構わない。
怖がりたくない。
何を残したらいいのか
何を貫かせ通り過ぎさせたらいいのか
私には分からない。
小さな木に茂る一枚の葉を見た。
葉と一つになるためにつながりに行った。葉から出ている剣は私の心を刺し、剣は消え、葉と一つになった。涙がとめどもなくあふれる。こんな一枚の葉でさえ、私にとって敵だったのだろう。主体と客体と認識しているだけで、こんなにも敵だったとは。
歩きながら、空気に私を貫かせ、環境に私を貫かせた。本当に、物理的に一つになっていくようだった。目の前にいるアローにも同じようにした。そうしてアローは、かわいいアローではなく、威厳ある力強いアローになった。可愛いと撫でていたとは失礼な話だ。延々と涙は止まらない。
今日はボロボロに血だらけになろう。
世界が私となるように。
