何よりもいちばん不幸なことは

神に会えないことです。


だからスピリットは

神から遠い人に私たちを出会わせます。


お金の裕福さに楽しんでいる人

肉体の美しさに満足している人

神なんてと言う人

神のことなんて眼中外の人

神を毛嫌いする人

アイテムが好きな人

体が病んだ人

悲しみに打ちひしがれる人

怒りに満ちた人

孤独を感じている人

嘘をつく人

意地悪な人



ジーザスは病人のところへ行きます。


なぜなら、神に近い、

病んでいない人には医者は必要ないからです。


だから、私たちはそういった

病んだ人たちと出会います。


神を届けるために。


そうしている中では、

私たちは神のチャンネルであろうとします。


そのためには完全にオープンでいなければならないので、オープンでいようとすること自体が、私たちが純粋であろうとするトレーニングです。私たちが平安でいなければ、チャンネルになれないからです。常に赦し、常に平安を選んでこそ、純粋なチャンネルであることができるからです。


そうして誰かの微笑みを見たとき、

誰かが神に一歩近づいたとき、

それが私たち自身が癒やされたことのしるしです。


だから病んだ人に神を運び、神に出会わせることで癒します。話す必要も、説教をする必要もありません。ただ一緒に会う資格をあげるだけです。みんなで神と一緒にいるだけです。


神に出会えない不幸な人など

一人もいなくなるようにと。


そして結局それは、自分を救ってあげているだけです。でもそれが、いちばんの、自分に優しくする方法です。私を神に出会わせてあげるのですから。


こんなことをするのは

私が病んだ者だからこそ

ジーザスがいてくれるからです。