―10月19日―
先日、瞑想の中、自分が区切りのない存在であるような感覚になり、肉体と自分は本当に関係ないのだなと体験した。それから肉体の中にいる感じに戻れるのか試したけれど、どうもそういうことではないようだった。戻らない。驚くような感じでもなかった。
そしてそのまま眠って、いくつか怖い夢を見てうなされた。あんな体験をしたら闇くらい上がってくるだろうなと思ってまた寝た。
ところが思いのほか次の日は朝からメチャクチャだった。うまく考えることができずに空回りした。いつもは何を着ればいいかすぐ分かるのに、分からなくて何度も着替えなおした。はみがきをしながら顔に化粧水を塗ろうとしたり、授業の予定まで間違えて、来るはずのない生徒さんを待った。静かにしているだけがいいと分かっているのに、こみ上げる焦りで、ただただそわそわした。
ただ、予定を間違えた授業の内容だけははっきり分かった。授業でやる内容はいつも祈る。その時は、占技自体はたくさん浮かんでいて、どれをやることになるのかは分からなかったけれど、どの知識を使ったとしても真理のことに行き着くことと、どの経路を通っても素晴らしい着地になるということだけは分かった。だから、授業がとても楽しみだった。こういうことだけは分かるんだな...などと、起こってくる思考の区別の仕方を確認していた。
そしてもちろん、次の日の授業でそうなった。占技を教えて使って、いろいろな体感を得た後、「あなたにはどれほどの価値があるか、どれだけ資格があるか、どれほど素晴らしい存在なのか」を話した。とうとうコースのことも知らせることになった。多くの人は、コースをよさそうだと感じても、「自分はまだまだで、自分にはコースを手にする資格がなく、遠いものだ」と感じる。でも彼女は「自分には価値がない」という理由が消え、「価値があるからこそ」進む方向があることや、今までが間違っていたということに、いっそう深く納得したようだった。そして私の大好きな顔つきを見せてくれた。
こんな人の少ないど田舎で、コースを手にする人がこんなに増えていくなんて奇跡だと思う。どこからともなくやってきて、何か変わりたいからと占いを学び、でも実は知らないうちに占い用語を使ったコースを学ばされていて、まず奇跡を体験する。それに驚いてから、コースの存在を知り、コース購入ページにクリックをしに行く。「奇跡を体験してからだなんて、一番説得力がある方法だな。ジーザスは上手。」といつも思う。
そうして、その時またこの言葉を思い出した。
Who do you say that I am.
(直:あなたはわたしを誰だと言うのか?)
人生に神のかの字も無かった人に見えないものを体験させ、新しい道へ導くのだから、こんなことができるのはジーザスしかいない。
でもこれが起こるためには、私はたくさん引き下がらなければならず、これが起こることは私にとって成功のしるしだといつも思う。
Who do you say that I am.
この言葉は、先日の映画集会の時に、唯一メモを取った言葉だった。
この言葉は深い。集会の時にこの言葉についてこう思った。「あなたはジーザスなのだから、できないことは何もない。それなのにエゴよりもジーザスを弱いと見ているからこそ、私はこんなに自分でエゴと押し問答して、あなたの方を向かない。あなたがジーザスであることが解決だ。あなたに癒せないものはない!あなたに癒せないものはないということを知っていることで全部解決だ!だからこれをいつも思い出しさえすれば.....」
集会の次の日に見たドラマでは、ジーザス本人がまた同じ言葉を言った。驚いて息をのんで、涙があふれて、この言葉をいっそう大切にしようと思った。
「私を誰だと思ってる?」
「私を誰だと思ってる?」
「私を誰だと思ってる?」
そのドラマの中では、こんな体験もあった。自分と重なり、ペテロの“もう自分には資格がない”という思いに強烈に同調した。ペテロは「もう二度と顔向けできないほど、ジーザスを裏切ってしまった。顔も見れない。」と思っている。そのペテロの前に、ジーザスが再び現れる。結果的にジーザスは、岩のペテロと名付けた通り、ペテロの心の中の岩の上にちゃんと教会をたてた。ジーザスがペテロを選び、ペテロはジーザスを裏切って、それが赦されてから、心の中の本当の岩の土台となった。私の中に、こんなにも強くジーザスを裏切った感覚があったことは予想外で、こんなにひどいことをしたのに赦されたと思い、大号泣した。ジーザスの大きさははかりしれない。
「私を誰だと思ってる?」
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ドラマの後は、滅多に読まないエックハルトの本を開いた。肉体ではない存在、今ここの存在として存在しているエクササイズのページだった。しっかり集中して、今この瞬間に肉体ではない存在として存在し続けるとある。エックハルトは「インナーボディ」という言い方を使って、肉体とそれを分かりやすく区別してくれた。前の『無限とゼロ』のことを思い出し、これもまた同じだと思った。私の外でも中でもなく、内に無限の世界があり、内から無限の世界に達してそれが内だけではないことが分かる...ような感じ。これはきっと、区切りのない存在でいる状態を保つための画期的なトレーニングだろう。
こうして、現れたちっちゃなパンくずを辿って、食べて、いつのまにか思いもよらないことへ導かれていくプロセスは、素晴らしい。これだけをして、どこに奇跡が起こるか分からずにいて、喜んでそういられたら、さぞかし幸せだろうな。
どうしてあんな瞑想をしてみたのか?、どうして集会に出たのか?、どうしてドラマを見たのか?どうしてはたくさんあって、そして誰もが、この「どうして」自体がスピリットだと感じることが大好き。いつも一緒にいてくれたことを知るから。
スピリットが、ジーザスが一緒にいると本当に感じたり分かったりしたとき、誰もが一気に幸せを感じる。
「私を誰だと思ってる?」
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朝からずっと浮かんでいる言葉が一つある。
Faith(信)
「私を誰だと思ってる?」と信を。
このことを思い出すだけで
フワッと急に容易になる🥰
今日書いたものも、あいかわらずめちゃくちゃな流れだ(笑)どの出来事が先だったか後だったか、今となるとまったく自信がない。内容が点で、時間が前後する。ぐちゃぐちゃの寄せ集めのよう。ぜんぶ書くのは面倒で省略すると、余計にぐちゃぐちゃに見える。でもすべてつながっている。