久しぶりにリトリートに出ている。

そこでまた色々な体験をしている。


そのうちの一つにちなんだ

今日の一日がかりの経験について。


最近ずっと、花にも大好きだった鳥の声にも何も感じず、花も空っぽに見え、鳥の声はちょっと綺麗に感じる音だった。以前は花だけで涙してたのにと不安があった。私の中で地上のいちばん美しいものだったのだと思う。


でも反面、それが正解のようにも思っていた。ただこの、もう何もつまらないと感じる感覚から平安に向かうのは、うまくいかなかった。


デイビッドは、まったくその通りのことを話した。花のこともその通りに話した。そして、やはりこれでよかったのかと思うに至った。


エゴがつくったこの世界には、

何一つ素晴らしいものなどない。

すべて気を逸らすものでしかない。



そうなると今日は、リトリートから一睡もせずにの屋外体験デーとなった。困ったことに、無睡なのにまったく眠くならない。今晩の最後のリトリートに起きていられるのかしらと今も少し不安です(笑)





今日は娘のダンスコンテストで、これも、昔だったら私の唯一の大きな楽しみだったはず。それなのにまったく何も感じない。結果、娘が踊ってもそれでも何も感じなかった。


一日中あまりにも何も楽しくなくて、まあそれはいいとしても、神の愛を体験していないことに不安があった。他のパパやママや先生たちと話しても何も感じない。ただ娘と旦那さんの言われるがままに流れて動いてるだけだった。なんでもよいから反論もない。


それでもそんな自分の心のことを見ていた。

色々なチームを見て、うまいだの下手だのと思ったり、どのチームが勝つかなどを考えてるのを見たり。途中、そんな考えが嫌になって、スイッチを変え始めた。そうしたら私は変わったようで、楽しそうに踊るどんな子のことも見て楽しんだ。音楽に乗って体が動きもした。そして自分の子のライバルチームというのではなくなり、喜んで手叩きし、素敵に見えた。自分の子だけが特別ではなかった。




いよいよ結果発表の時には、また少しスイッチが変わった。目の前の子が祈りのポーズをしているのを見て、それが本当に素敵なシンボルに見えた。もちろんその子は一位と呼び上げられたくてそのポーズをしているのだけれど、そういう意味ではない単なる素敵なシンボルという感じだった。




そしてよく見ると舞台には「しあわせダンスコンテスト」と看板がある。MCは、幸せに踊るんだ!と言っている。


ワあ!オッケー!

このための今日だったのかと思った。

「しあわせにダンス」。




表彰の中で、一位の子たちも、二位の子たちも、感謝という言葉を述べていた。彼女たちを通して私に感謝という言葉を言っているように感じていた。今日一日、私がしたことに対して。つまり何もしなかったことに対して。




最後の記念撮影では、

全員がこの私の一日のショーの役者たちに見えた。とてもすごい光景に見えた。



一日がかりで「しあわせダンス」とは何なのかをに教えてくれたスピリットたちからの、閉幕の挨拶のよう。




それから先生と話せば息子の話になり、

「ぜったいに、あの子にそんなこと言っちゃダメよ。プレッシャーかけちゃかけちゃダメよ。何だっていいのよ。何も準備なんていらないのよ。親がダンススタジオ作ってあげなさいよ。」

と旦那さんが怒られている(笑)


ワオ・・・

準備なんていらない。

わが子、神の子に、

心の中のダンススタジオを作ってやれと。


もちろん先生は、息子に物質的にスタジオを建ててやれと言っている。私はそれを、物質的な意味と、シンボルとしての意味と、両方として深く受け取った。スピリットに聞きながら、物質的にスタジオをどうしようかにも取り組むのかな。




そのままふと目を向けると、

全部が大文字のWELL BEINGの金文字が見え、

そこにあるたくさんのハートを持ち帰る人々。もうたくさんあったハートは少なくなっていて、たくさんの人たちがハート風船をポンポン空中に放って遊んでいた。




看板やこういったサインは、朝からずっと見ていたのに、今になって。




最後には、娘がハートに押しつぶされながら記念撮影をしていた。



それを見て旦那さんや周りにいた人と笑った。

ハートに押しつぶされてる〜(笑)と。


自分の子も他の子も違いが無いながら

こうやって分かりやすくシンボルとして。


あなたの内なる子は、

ハートに押しつぶされて喜んでいる。




私は、今日一日、あまり何もしていないような気がして不発な気持ちだったが、そう維持し続けたことこそが何かをしていたのだと思った。「何もしていない」「つまらない」「楽しくない」と言っていたのはエゴの声にすぎない。


まだこのやり方は慣れていない。

でもきっと、こうやるのだと思う。


この世界のものには

何一つ素晴らしいものなどない。


でも、こういうことが

素晴らしいことだ。

これだけは今も楽しい。