『The Parables of David Hoffmeister

50 Years of Miracles 1972-2022』

(デイビッド・ホフマイスターのたとえ

奇跡の50 1972-2022)


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今日読んだデイビッドの体験の中に、デイビッドがある人に怒り狂った振る舞いをされるシーンがありました。


デイビッドはプロンプトに従ってやっとの思いで言いづらいことを言い、そのおかげで人を怒らせます。




私は自分の体験を思い出しました。


ある時、促しの極みに達し、もう嘘はつけないからという心境になり、ある人に電話しました。


言ったらキレられると分かっていました。


しかも、正月が明けたばかりの頃で、新年早々にわざわざ電話して言うことではありませんでした。新年でなくても、言えるようなことではありませんでした。


でもこれを逃してはいけないような心境でした。



案の定、相手は、相当に怒りまくり、怒鳴りちらしました。それでも、私は、自分が非常識であっても正直に言わなきゃという想いで頭がいっぱいでした。


一方で私の中では、相手が私に理不尽な要求をしていると思っているので、非常識なのは相手です。普通は言いづらいし、言わなければ丸く収まって無難なだけとも考えました。いずれにせよ、もうどっちが正しいのかも分からず、正しいかどうかの問題でもなく、ただ言うしかないようでした。


ちょうどその頃、フランセス達が作ってくれたグループの刺激で、私は、正直であることや、ピーボープリージングしないことへの思いて必死でした。その時、そんな電話をする決意に至ったのも、フランセスの投稿によって、もう嘘をつけない心境になってしまったからでした。



相手が怒鳴っている間、私は返す言葉がなにも出てこなくて、ただただ怒鳴られていました。


間があけばさらに怒りを助長するだろうからと必死に考えるのに、何も言葉になりませんでした。


だから

「考えが出てきません」

と言うしかありませんでした。


その間、私はとても震えて目をつぶっていて、でも、本当に真っ白でした。目をつぶっているけれど、とにかく明るい白い中にいたように思います。とにかく白だけだった。


とうとうその人は、

「そんなことするなら、きっと罪悪感抱きますよ。罪悪感を抱けばいい!」

とまで言いました。


でも、それは逆に、

「あれ?」と私に思わせました。


罪悪感を抱くがいいなんて、

普通、人が言う?


混乱していながらも、罪悪感という言葉を出すことに、あれ?と思っている自分もいて、とはいえ、私はまだ視界も頭も真っ白で震えていました。


間が空けば、「何か話そうと思うんだけど、何も出てこなくて」と言い続け、そのうち相手は落ち着き始めて、少し笑ったり、笑える話をし出しました。


震えながら「大丈夫だ、終わる」

と思ったのは、「笑い」が出たからでした。




最終的に、

「とても混乱していて、何も話せません。時間をください」

と言って電話を切りました。



そのあと、どうにもならずにただ目をつぶって座っていると、「信頼する」と思いました。意味がわかなかったけれど、なぜか「信頼しよう」と思いました。何を信頼するのかも分からなかったのだけれど、とにかく、その人を信頼することに決めました。



数日後、また電話をしました。


「私は内容に納得していないし、今後もまた、納得がいかなくて同じことを言うかもしれません。でも、とにかく、あなたを信頼することにしました。だから、今後もよろしくお願いします。」


と言いました。それが本当のことだったからです。信頼するとも決めたので、相手の差し出している条件にすっかり従うことも伝えました。


そしてその人は、言い過ぎだったなどを言いつつ、どちらも折れるわけでもなく、まあよかったよかったという、今度は大きく笑う着地になりました。


その人は今も、面白い形で私を先導したり助けたりしてくれていて、心からいちばん信頼できる存在のようになっています。



デイビッドの経験を読んで、これだったんだと思いました。デイビッドは、プロンプトにやっとの思いで従ったあと、

「やった!やったぞ!」

とプロンプトに従えたこと自体を喜びました。


でも私はそう喜んではいませんでした。


けれど読んで、私はやったんだ!と思いました。


そして、自分が喜びが下手なことも知りました。


あまりにも自分を卑下しすぎて、何も見えていません。


これじゃだめ。



デイビッドは、そのプロンプトは

「君はこれを聞きたほうがいいよ」のように、優しく指示や提案を差し出してくれて、それから何かをシェアしてくれるのですが、でも、どうあれ独裁者のような感じではなく、とてもフレンドリーでした。』

と言っています。


私は、そんな風に聞いていなかった。


でもきっと本当は

フレンドリーだったはずです。


そう聞ける者でありたい。




とにかく

私はやった!


そして、デイビッドが言っているように、あれは自己概念の解体の始まりだったのだろうと納得がいきます。