数日前「ああ 何ということだ」と思うことがありました。私は曲を聞きました。とても心を向けて聞いていて、どの曲にも涙をこぼしながら散歩していました。数曲後にはじめて聞く曲がかかりました。題名は
Let go and Let God
(手放して神にやってもらう)
聞いていると、脇のコーラスがとんでもないコーラスを乗せているのに気がつき、何度も何度もリピートして聞き直しました。
コーラスは、
南無妙法蓮華経♪
南無妙法蓮華経♪
と歌っています。
生まれてはじめて、南無妙法蓮華経の意味が分かりました。
Let go and Let God
(手放して神にやってもらう)
私は小さいころから、これを何度唱えたきたことか。周りの大人たちより真剣に、「助けてください、頑張ったら幸せになりますよね、頑張りますから、どうしたらいいですか、どうにかしてください」と思いながら。一人で長間唱え続けたり、一日に何度も唱えました。朝だって、まず一番にお線香あげて、唱えてお経読んで。親はそこまでしろとは言ってないのに。
だってお坊さんが「南無妙法蓮華経と唱えればいい、唱えるだけでもいいから」って言うから。もちろんそのお坊さんは、心から日蓮やブッダに人生捧げていて、たくさんの心ある説法をしてくれていました。でもやっているうちに、大人たちに疑問が湧きました。「そうは言っても口で言うだけじゃ...。行動が伴っていない。私は意味がわかって唱えたい。意味に意味があるんじゃないか。」
だから、たくさん調べました。お経や南無妙法蓮華経の意味を知るために。漢字を一つ一つ調べたり。でも無理でした。でも、理解は無理だという答えが得られてすごくスッキリしました。だから、意味の分かるお経を心から唱えたりしました。
でも今やっと、意味が分かりました。
手放して、神にやってもらう
って私はずっと言ってた。
今も、父と母は、毎朝お仏壇の前でやってます。私はそれを横目で見ていましたが、これからは違います。私と一緒に「今日も神にやってもらおう」って言っているし、父と母から南無妙法蓮華経チーン♪と聞こえれば、つまり「今日も、全部手放して、神にやってもらおう!」と聞こえれば、まるで聖霊に言われてるみたいです。朝の大合唱であり、讃美歌です。今なら一緒にとなりに座って、心から、意味がわかって南無妙法蓮華経と唱えられます。
こんなことを今朝また考えていると、唱えていた大好きなフレーズを思い出しました。
♬
天下万民、衆生一仏城となって、
ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、
吹く風枝をならさず、
雨土くれをくだかず、
世はぎのうの世となりて、
今生には不詳の災難をはらい、
長生のじゅつを得、
人法ともに不老不死のことわり
現れんことをごらんぜよ。
現世安穏のしょうもん、
疑いあるべからざる者なり。
こうなれるなら頑張る💕って期待して唱えたのを覚えています。家庭の状況が悪くて、小学生の私はこれに憧れていました。
今、これを見て、「すべてを赦したら、幸せな夢としてのこんな世しか見えないんだ」という、単なるコースの一節に見えます。そして疑いなき者になるんだって。
興奮してお経本を引っ張り出しました。
♬
善につけ悪につけ、法華経を捨つる者は地獄の業なるべし
(善につけ悪につけ、神とはなれたら、もうそこは地獄だよ💕)
♬
一同に南無妙法蓮華経と唱うべし
(みーんなで、Let go and Let Godで生きなさい。また、あなたが赦せば、世界中の全員が神にやってもらうようになるよ💕)
とにもかくにも、私にとって、南無妙法蓮華経を聞いても、南無阿弥陀仏を聞いても、もうLet go and Let Godという愛の歌でしかなくなりました😃💖だとしたら、私はこれまでも一日のはじめにこれを願い、いろんな状況でたくさん聞いてきたということです。神はずっと教えようとしてくれていて、たくさん疑問を抱かせてくれていて、いつも、早く私にぜんぶ渡しなさいと言ってくれていたということです。
私は、いきなり、「すべての答え」を唱えていたようなものです。