15才の娘は突然、車の中で聞いてきます。
ママ、今急に すごく楽しみなんだけど
何でだと思う?
私さあ 何が楽しみなの?
考えたけど 明日 別に何があるわけじゃないんだよ
今何か楽しいことしてるわけじゃないし
ディズニーランドの帰りみたいにね
今すごく楽しくて、ワクワクなの
やばい どうしよう!!!
めっちゃ楽しみなんだけど![]()
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ねえ ママ!何が楽しみなんだろう?
昨日、これで6度目です。
彼女に突然喜びがやってきます。
毎回 私と2人きりで、車の中というシチュエーション。
昨日、これが何かわかりました。
そういうことですよね。
昨日私は、娘と一緒にいながらも、 彼女を喜ばせるようなことをしないで(no-people-pleasing)、自分が平安の中のとどまっていようと取り組んでいました。
熱心に。でも穏やかに。
今までこんなに積極的に、自分に平安を与えようとしたことはありませんでした。
車の中というシチュエーションでしたから、ただ彼女の話を聞いて、たまに静かに反応していました。
そして数分後、彼女はこれを言い始めた。
彼女のJoyは、ただの私の心の中の反映でした。
ああ、私、こんな素敵なものが投影できるんだと思いました。
そして、これまで彼女が体現して私に伝えていたのは、ただ喜びにアクセスさえすればいいということだったんだと。
特別な予定も、特別な出来事も必要ではなく、
ただ自分の中の喜びにチューニングを合わせるだけが愛に触れている方法。
どんな感情が心にあろうとも・・・
それが喜びは自分が選択するということであり、同時に、平安、喜び、愛をたった今歓迎する許可を自分に出すということです。
そしてこれが世界を愛で満ちあふれさせる方法でした。
それで、昨日はじめて 彼女にこう応えることができました。
明日、何にも楽しみなことなんてないよ。
それ、その気持ちを楽しむやつだよ![]()
だからさ、それ、今一緒に楽しもう![]()
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これに対して彼女はただ
そうなの!わかった!
あ~この楽しみ消えないで~
と。
この一言で彼女はとても納得して、一緒に道中を楽しみました。
彼女は神ごとの話はさっぱり分かっていません。
つまり、神の話を知っているかどうかも関係ないということです。
ただ彼女はno-people-pleasing と no-private-thoughtの実行者で、奇跡をいっぱい体験しながら生きてるようには見えます。
💛🙏🏻💛
私はただ喜びを自分に許可するだけでいいということですよね。
そして自分からアクセスしに行くんだ、行けばそこにあるんだということですよね。
そしていつでもずっと平安の中にいなさいということですよね。
💛🙏🏻💛
