21日に本集会を開くことになりました。

そしてその名が
『ピースルーム』となりました。

先日集まった"変な集まり"は、集まった方々にも私にも色々な事を起こし、このような流れになりました。


私は、出席された方全員が共通して抱えていたものがつながり、最終的にそれが占技で解説され、明確に説明できるものを得て、また私のもひどく納得しました。

占いを知らない人でも、奇跡講座を知らない人でも分かる形になりました。それを説明しようというのがきっかけとなり、ピースルームという形になりました。



他の方たちは、21日の集まりに出席するしないについての選択の過程でも、あれからの毎日でも、各々にドラマが展開されているようです。



その中の一人の方は、スピリチュアル・神・信仰など、そういった言葉とは無縁だったのですが、心にこんなものが聞こえたそうです。

「行け!」「行かなきゃダメ!」
「行けなくても都合つけろ!」と
身体の中から湧き上がって来るように、声というか意思というか、そんなのが聞こえてきてまして…

私はどうなるんだろう?と
とても不思議な感覚で居ます😅



出席すると決断した後にもさらなる展開があり、まだ奇跡講座を買ってもいないのに、愛か恐れかの決断を迫られ、愛を選んで愛を体験し、今は幸せに包まれています。

本人は、まったくわけが分からないけれど、これでいいという意味不明な確信があって、これから自分がどうなっちゃうんだろうという楽しみと、根拠のない安心があるそうです。



ある方は、出席しない決断をされた方々について思いをめぐらし、そこに自分のエゴを見て格闘しています。

でも、教会にロウソクが灯り、自分が幸せそうにそこにいる夢を見たそうで、格闘が喜びと期待に満ちていています。




私にとって、来る人も来ない人も強力な仲間たちで、奇跡が起こっている報告をしてくれています。

さらに、それらの方たちが、私に対するアドバイスをしてくれるようになりました。もうそれはまるで、聖霊がやりなさいと言っているように聞こえます。占技上では私が先生なのに、逆転です。それが嬉しい。

もちろん、私がまったくやりたくないことばかりを言います。私へのとめどないミッションも止まることがありません。



聖霊に従う道は、ある時点に着くまでは、まったくわけが分からず、無意味に見えます。

赦しばかりをして、やっとの思いで聖霊をなんとか選び、何の達成感もなく、すべてが途中のままに見えます。



でも、聖霊があちこちに落としてくれるみんなへのアメ玉を見たとき、どれほど広範囲な影響をもたらしたのかと驚かされます。

そして
「私じゃこんな計画思いつかない!」
と思うことになります。

少しだけ、『愛は流れ』ということの意味を体験しているようにも思います。



私の仕事は全部、ちょっとタネを蒔いただけで途中のままストップされ、背後だけで何かが流れっぱなしで、思いもよらないところでピカーン!って光る。

このとても気待ち悪さの残る練習に、まだまだ自分のブロックを感じ、喜びに至れずにいるので、ひたすら練習の日々です。