赦しを重ねるばかりで

自分がどんな歯車になり、

どんな良いことが起こったかが見えません。

 

喜びの体感も

今までのものでは当たり前になってしまって

フレッシュさがありません。

 

それなのにより深くフレッシュな喜びもないまま

たくさんの赦すべきものが上がってきます。

 

止まって、閉じこもってしまったように感じます。

 

 

 

祈りました。

 

どうか、今、神の子の幸せを体験させてください。

 

私はもうそうなのだから、体験できるはずです。

 

 

 

浮かんだのは「ミッション 8ミニッツ」でした。

 

今、ちょうど訳している最中の5章の部分です。

 

これを訳し終え、適用することがやることなのだと思いました。

 

きっとこれが、私に幸せの体験の方法です。

 

 

 

本を訳すことにたくさんの時間を費やしている自分への、罪悪感がありました。

 

その罪悪感は「時間があるならもっとできる仕事を探せ」と言います。

 

また、訳す作業のせいで、肉体を動かさず、パソコンやスマホにかじりつき、それ自体が閉じこもった空間を生み出しているように感じています。

 

でも、そのまま訳し進めるしかないか、と思いました。

 

その罪悪感を赦すのか、赦していいのかと葛藤が見えます。

 

 

 

この本は、非常に知識的だと感じます。

 

頭の中だけで進むミッションのようにも感じます。

 

外の世界に適用するのが恐いほどしっかり知識で、とにかく今は、まだ混乱した知識が固まらないと感じています。

 

また、これらを適用したら、どれだけ加速してしまうのかとも思います。

 

今は、恐すぎて適用できません。

 

そしてまだ、映画の中での適用もしていません。

 

 

 

とにかく、これらをやるのが今の最善なのなら、そうします。

 

ただ、これまでとは違って

楽しみにしながらやれるよう、赦しながらやろうと思います。

 

この作業の歯車がどうなるのかわかりません。

 

でもこの流れ自体そのものでさえ、幸せの体験ができるはずなのかもしれません。

 

信じます。