しばらく前に、ある例えについて深く考えることがありました。
真の世界とこの世界について、
iphoneに例えることになりました。
今日は誰かに「喜んでいいよ」と強く伝えたい気持ち、シェアしたい気持ちで書きます。
その例えの構図が頭でまとまった時に、聖霊が教えてくれたと思いましたが、深い喜びとまでは行かず「良い考えだな」という程度でした。
それでも、ことあるごとにiphoneのイメージが浮かび、赦しに役立っていました。
でも昨日、これが本当にイエスからのアイディアだと強く感じることになりました。
「こんないい考えが自分に浮かぶはずがない」とようやく気付き、喜び、感謝しました。
それはこんな例えです。
私たちの肉体は、iphone本体です。
そこに入っているアプリは、すべて自我です。
怒りのアプリ、悲しみのアプリ、嬉しいアプリ、楽しいアプリなど色んなアプリがあります。
さらには、画像や、音や、動画まで、アプリで起動します。
そして、アプリを動かしている脳みそだけが、実在で、聖霊で、愛で、神。
私たちは、アプリを体験しているだけなのに、本当だと思っています。
怒りのアプリが起動したら怒り、お金ゲームに負けたら損をして、良さそうな映像を見れば嬉しいと思い、可哀そうな動画を見れば泣きます。
そしてたかがカメラで撮っただけの写真や動画を映し出して、現実だと感じます。
また、このアプリが気に入らないと削除したかと思ったら、App storeに行って、何万もある中から別のアプリをインストールします。
そしてアプリのとっかえひっかえが起こります。
さらに気に入ったアプリだけ、残しておきます。
すべてのアプリは自我です。
消しても仕方がない。取り替えても仕方がない。
アプリを起動させないようにするのでもありません。
唯一、助かる方法は
アプリが起動していても気にしなくていいと認識することです。
アプリが起動しいている状態を聖霊と安心して見ることです。
ガンガンに怒りアプリが起動していたとしても。
誰かから略奪したような、エゴの勝手な喜びを感じたとしても。
アプリはすべて、iphoneの脳みその中で動いています。
アプリの背後には、どんなアプリが起動しても気にしていない、脳みそがあるんです。
私たちはアプリではなく、脳みそなんです。
聖霊は脳みそで、神は脳みそです。
いつもただ冷静で、動じなくて、せかせかもしません。
「ただ在る」だけです。
そして神とつながっているiphoneの脳みそは
いつでも、常に、消えていません。
それが消えていたら、
アプリさえ動いていないはずです。
だから、私たちは、アプリ上の失敗を体験することはできますが、本当に失敗することはできません。
脳みそは、私たちを愛さないこともできません。
脳みそは永遠に起動中だからです。
永遠に、常に愛されています。
いつでもアプリの隙間からそれが溢れ出しています。
だから、どんなアプリが起動していても、恐れることは何もありません。
体が痛いと感じても、肉体を感じなさい、痛みを感じなさいというアプリが起動しているだけです。
それは、iphone本体に意識を集中しなさいというアプリが起動しているだけです。
消す必要も治す必要もなく、肉体を感じるというただのアプリとして、ipnone本体をただの機械=肉体だと認識するだけです。
全部ただのアプリだと見ていいよ、という優しい声です。
私は最近、赦しがどうにもならない時、iphoneのイメージが浮かびます。
そうすると、「ただのアプリ起動中」と認識することになり、聖霊の入る隙間ができるように感じます。
「アプリを消しても仕方ない、アプリが動いていても関係ないはずだ」と、アプリを消そうとしていた自分に気づき、視野に広がって、一歩下がれます。
だからとても助かっています。
アプリから出られないとか、赦せないという悲しみなどよりも、「何が起こっているように見えてもただのアプリだ。実際じゃない。そのアプリを指でタッチしただけだ。」ということに戻ることができるからです。
私の目に見える人達が実際はつらい思いをしいていないという認識も、とても嬉しいことです。
自分がそう認識できようとできまいと関係ない事実だということが、安心と勇気をくれます。
そしてこう嬉しく思えるのは、私のあいまいな考えてiphoneの構図を発案したからじゃなくて、イエスが教えてくれたことだから絶対に間違いないと信じられるからだと思いました。
こうして一歩一歩進んで、起動するアプリが変わっていくのだから、私のiphone、みんなのiphoneがどれだけ楽しいデバイスになるか、どれだけ幸せな世界を投影することになるか分からないと思いました。
私はもう、自分からApp store に行きたくありません。
私にはアプリをどうしたらいいか分かっていません。
でも必ず、どのアプリも聖霊がアップデートしてくれて、楽しいアプリに変えてくれます。
その前に、持っているアプリをしっかり見て、しっかり感じる勇気を私に持たせてください。
しっかり感じても恐くなくなれば、そのアプリはもう私を困らせません。
誰かへと書きましたが、やはり、全部、自分自身への励ましでした。
これを実践したい。
