そしてとにかく、喜びでないものを心の中まで入れないよう、気づかった。
そうでないものを「ただ見る」に留めようとするだけで精一杯で、あの気持ちいい喜びはやって来ない。
それでも、これでいいと疑わないようにした。
そんななのに
奇跡が起こっている。
ぜんぜん気持ちよくないのに。
1、2週間前に失敗したことがあった。
娘のコンテストのチケットが
買えなかった。
後ろの方の座席をゲットするために
なるべく遅く買おうとしていたら
売り切れてしまった。
もっと早く買えばよかったと後悔したが、
思い直し、丸一日かけて赦した。
次の日、旦那さんが
「よく考えたら、中に入れなくても、ロビーの画面で見てた方がタバコも自由に吸いに行けるし、プラプラできるし、オレそっちの方がかえってよかったと思ってさ。だから、もし当日券が買えなくてもいいや!」
と言ってきた。
それを聞いた瞬間に驚き、
ああ赦せたんだな
と思った。
間違いなく、買いそびれたと分かった時は彼はイラついたと思う。
いつもはそうだし、私に文句を言ってもややこしくなるから言わなかっただけだと思う。
だからびっくりした。
そして、この赦しの案件は終了したと思っていた。
私も、ロビーで見ることの方が面白そうに思えて、チケットはもうどうでもよくなった。
とはいえ、
当日券があったら買おうとは考えていた。
そして今日の夕方、友達からラインが来て
今回からは当日券の販売がないと教えてくれた。
でも、少しも悲しくなかった。
本当にどうでもよくなれたんだな
と自分を確認した。
ところがさっき、娘をダンススタジオの駐車場で待っていると、ダンスの先生が車まで来て、
「あなた達のためにチケットなんとかしたから大丈夫よ。2枚大丈夫だから。」
と言いに来てくれた。
1枚は、友達の分として買ったものだけれど、来年行くからいいと言ってくれたから。
もう1枚は関係者のちっちゃな子供の分で、その日は幼稚園に行くようにしたから。
親が子供を見れないなんて可愛そうだと、いろいろやってくれたそう。
もちろん、私の方は大丈夫だからこっちにまわさなくてもいいと言ったが、先生はとびっきりの笑顔で、嬉しそうに、誇らしげに「大丈夫!」と言った。
その時は内心、「これは素直に受け取るやつだ」と思いながら、一応の遠慮の言葉を言っていた。
他にも買えなかった人達がいたので、自分だけ買えてずるいなともよぎったが、私が受け取るべきだと強く思った。
嬉しかった。
チケットに関しては全く嬉しくない。
本当にどっちでもよくなっていたんだな。
嬉しかったのは、
奇跡が流れてたと分かったことだ。
終わった案件だと思っていたが、もうひと押しがあった。
全く予想していなかった。
手放してしまえば、その形をもらってももう嬉しくはない。
でもやっぱり、会場の中でお腹にガンガン響く音と照明とで見るのと、ロビーの小さなテレビ画面で見るのとではいろいろ違う。
だから、このサプライズプレゼントを思いっきり楽しもう!!! と決めた。
今日はぜんぜん気持ちよくないし、これを大きな喜びとも感じていない。
でも奇跡ってこうなんだ と嬉しい!
