レッスンの2回目をやっている。
イエスに聞き続ける意欲を保っていくことに、不安があったからだと思う。
でも、気軽に始めた2回目は、1回目とは全く違い、苦しみではなく喜びの声にだけ聞こえてくる。
自然と『強さ』というキーワードに心が向くと、次の日のレッスンにはこれが盛り込まれている。
そして、『強さ』について教えてくれる人たちが来て、たくさんのレッスンをしてくれる。
朝一に思い浮かんだ嫌な物事が使われ、ピッタリ当てはまるようになっている。
今朝起きてすぐに浮かんだ、まだ片付いていない気がかりがあった。
それが今日の題材なのはわかったが、まだどう解釈したらいいか分からなかった。
占技の授業で、生徒さんがそれを教えてくれた。
授業は、ほとんど『強さと弱さ』の真理ベースの話になり、占いの内容なんて最後の15分だけだった。
その生徒さんは、
・しなければならないことが今たくさんある
・でも内容は好みのものではない
・体は疲れ果てている
・私がいないとみんなが困る
・鑑定で、自分の見解を正直に相手に言えない
これらが渦巻いていた。
私はそれについて、
「それらは全部、自分が強いと思っていることによって起こっている」
と延々説明した。
星と絡めて。
あらゆることに自分がしなければならない責任を感じ、自分にはそれができると思っているからだというような話。
例えた例は
大きな山にグーパンチして、山が傷つくと思うか?
山を傷つけられると思うか?
誰もそうは思わない。
山の方が強いと分かっているから、
自分がパンチしても何ともないと分かっているから
安心してパンチできる。
自分が弱く、山が強いのは当然だと思っているから、山を傷つけることができない。
それは鑑定でも同じ。
自分が言ったことによって相手が傷つくと思うのは、自分が相手よりも強くて、相手を傷つけることができると思っているからだ。
でも事実は違う。
お客さんが強くて、自分(エゴの方)が弱いのだから、その人を傷つける力は自分は持っていない。
お客さんは山だ。
結局、鑑定ではお客さんが先生で、自分に何かを教えに来てくれている。
鑑定で話すチャンスをくれていて、
その内容自体が自分への答えでもある。
お客さんを救うことはできない。
自分は弱いのだから、そんなことはできない。
だから、そんな責任を抱えるのは、どれだけ自分を強いと思っているのかの証拠でしかない。
だけど、自分(エゴの方)が弱いと認識している中で話した内容は、どういうわけか相手が救われ、相手に何かが起こる。
そして、何が起こったかを、ちゃんとこっちに伝えてくれる。
どんなにほっとしたか、どんなに楽になったか、今どんな気持ちかなど。
結局のところ
自分は弱いと分かることが強いということになる。
しなければならないことも、自分がやらないとみんなが困ると思う責任も、みんなこれが根っこになっている。
こんな話を約2時間。
その生徒さんは
自分は弱いと思っていた。
自信もなく、謙虚だと思っていた。
だから自分が頑張らないとみんなに迷惑をかけたり、こんな私がたいそうなことを言うのは申し訳なく、相手を傷つけたらどうしようとも思っていた。
でもそこに
「自分が人を傷つけることができる」
「私が助けてあげないとその人がどうにかなってしまう」
という自分が強いという思いが隠れていたなんて!
弱いくせにできると思っていたなんて!
たしかに、私がそれをしなかったところで、誰も私を咎めないし、悪くも思わないし、できないならできないと言った時には「大丈夫だよー」って気軽に言ってもらっている。
と、大笑いしていた。
2人で、
「弱いくせに、できると思ってたなんて、嫌ねー。笑っちゃう!」
と何度もお互いを笑いあった。
これが今朝浮かんだ問題の答えだった。
私にはその問題をどうにかする力はない。
私は弱い。エゴは弱い。
でもエゴが弱いとわっていることで、こっちの”私”が強いままでいてくれる。
その”私”は、
問題によって影響を受けない”私”であり、
だから解決を探す必要もない”私”であり、
ただ聖霊を信頼して光だけをみている”私”
という、最も強いポジションにいる”私”だ。
なぜ強いのかは、私ではなく背後が強いからだ。
[昨日]
それがどれほど強力なものか理解できさえしたなら、あなたの疑いは消え去るだろう。
今日私たちは、この強さをあなたに感じさせるための試みに専念する。
この強さが、すべての奇跡をあなたの手に届くものにしてくれる。
[今日]
神の強さはあなたの弱さを否定する。
あなたの肉体の目を通して見ている主体はあなたの弱さであり、それは闇の中を凝視し、小さき者、弱き者、病んで死にゆく者、困窮する者、惨めな者、恐れる者、悲しむ者、貧しい者、飢えた者、喜びなき者など、自分の似姿を見ている。
強さは、それらすべてを超えたところにある光をじっと見据える。
強さこそが、あなたについての真理である。