外に愛の言葉を求めること

それを心のどこかで
控えなければと考えていた。

誰かに会いにいく
コースを読む
フェイスブックを見る
動画を見る

これは依存とも呼べるからだ。




でも違う。

形の上では外に求めているけれど、
内に向かうことを忘れないために
内だけを見ていていられるように


つまりブレないように

愛の声だけを求めて手を伸ばしてしているのだから、素晴らしいことなのではないか。

それらが無くなったらこの先どうしたらいいか、と依存しているのではないのなら、話が違うのではないだろうか。



その手段の中に神を求め
何にでも神を求めるなんて
素敵だと思うようになった。

聖霊を忘れたくないから
神を忘れたくないから
自分がいつも向き直りたいから使うのだから。



そしてそこから愛の声が聞こえてくるのなら
自分はキャッチできる状態だったということ。

自分の投影が愛だったということになる。

投影した相手を
神聖な存在として見た証拠である。

与えることと受け取ることは同じ。

どこにでも存在する愛を
どこにでも求めるなんて
素晴らしい☺️☺️☺️