知覚するもの
考えていること
思っていること
それらの具体的なものをほったらかしにして
より深くに進めた時、
自分を可哀想に思ってきます。
とても悲しんでいて孤独です。
どんな考えも、
すべての人に愛してもらいたくて
それが叶わずに悲しんでいることにつながっているようです。
すべての人を大好きでありたいのに
そうさせてくれないと悲しんでいるようです。
表面に起こる出来事のせいで
それらが叶わないと。
深くにあるのは
心が強く求めている何かです。
それを愛というのかわかりませんが
心が強く求めているもので、
愛したい、愛されたい
そのような感じのもので
同時に、叶わなくて悲しんでいるものです。
その心に
「自由にしていいよ」
思ってあげた時、
「そんなことしていいのか?」
という戸惑いがありました。
これには驚きました。
私はいけないことだと思っていたようです。
誰かに愛してもらうことや、愛することなんて、そんなのあり得ないし、あり得なすぎて思い浮かんだことすらなかったことです。
まさか私にはその資格がない、だからいけないことだと思っていたなんて。
だから、それでも好きにさせてあげようと思いました。
そうしたら、なにか、とても、自己否認が減って、もっと愛してもいいと自由になった気がします。
愛されたいを許可するよりも
愛したいを許可する方が気持ちいいなんて
奥底にはいったい何があるのでしょう。
もっとそこと出会いたい。