私は今年の春、息子と一緒にゲイリーのワークショップに行った。

 

受付開始と同時に申し込みをして、2人ともとても楽しみにその日を待った。

 

 

 

それなのに、それなのに、

私たちはワークショップ中に起きていることができなかった。

 

ゲイリー達にも、主催してくださった方たちにも、失礼としか言いようのないほどに最前列で爆睡していて。

 

あんなに楽しみにしていたのに、どうやっても起きていることができなかった。

 

残念でならなく、そうとう戦ったけれど、それでも無理。

 

息子はそんな自分に腹を立てていて、後列の席に座り直していた。

 

私はいささかおかしいと思っていて、別の意味を探していた。

 

 

 

そして2日目。

 

ちょっとした期待もむなしく、相変わらず2人とも爆睡で終わった。

 

 

 

このワークショップに何を得に来たのか?

 

確信していることがある。

 

私は、ゲーリーやシンディの話を聞きに来たのではないということ。

 

 

 

 

私がとても感銘を受けたことが2つある。

 

通訳と姿勢。

 

 

 

主催してくださった方が通訳をしているのだけれど、

 

まるで自分の感情を混じらせず、

 

ゲイリーの話をそのまま通して流しているようだった。

 

 

 

英語は最初に結果がくるから、本当なら最後まで1つの文を聞き終わらないと、何を言っているのかつかみきれない。

 

日本語とはストーリー展開が真逆だから。

 

だから、英語の一文の途中なのに日本語で伝えちゃうって、未知のまま進むということ。

 

どういう話かを予測しないで、明確につかまないまま、ゲイリーがふってくる間に合わせて通訳している。

 

 

 

私は2月ごろから英語の勉強をし始めていた。

 

たくさんのすばらしい本を読んだり、YouTubeを見たかったからだ。

 

だから、このすごさが分かった。

 

ゲイリーが何を話したいのか分からないまま通訳してるって!

 

 

それに、YouTubeで他の通訳の方の様子を見るけれど、奇跡講座に関する自分の感情を交えたり、自分なりの説明を追加したりして、通訳者が熱弁しているように見えることも多い。

 

 

 

でもこの方は違った。

 

冷静で、淡々としていて、予測せず、さぐらずに、流れるように話しているように見えた。

 

それでいて関西弁のまま、自分の普段のままのような口調で、本人の感情のむらなく伝えられている。

 

 

 

この方を良く知っているわけではないけれど、私よりもはるかに悟りの道を深く歩んでいるような方だった。

 

だからこそ、この内容の通訳ができるのだと思うが、それ以上に、この方が分かってからこそこうしているのだと思った。

 

 

 

 

私は、

「自分を聖霊に使ってもらうとはこういうことなんだ」

というのを、生で見ていた気分だった。

 

まるで、聖霊の言っていることに対して、自分が通過点となっているだけだったのだ。

 

しかも、まる一日、何時間もぶっ通しで通訳。

 

それなのに、椅子の上であぐらをかいたり、終始リラックスして、言葉をかしこまらせずに、彼の自然体のままで言葉が流れていた。

 

 

 

私が眠らずにしっかり見ていたのは、それだった。

 

私は、この方を見に来たんだ!

 

「聖霊のやり方・使い方」を生で見に来たんだ!

(変な表現だけど)

 

と分かった気がしている。

 

それに私はこの方が大好きになった。

 

 

 

もう一つ心に深く残っているのは、

ゲイリーの姿勢。

 

ベストセラー作家とは思えないほど、低い姿勢。

 

それでいて話すときは、しっかりとした力強さ。

 

オフの時間も優しくて丁寧で。

 

自分が話していない時でさえ、静かにきちんと座り、私が持つアメリカ人の印象とは程遠かった。

 

 

 

このワークショップで私は、聖霊と共に過ごすやり方を肉眼として見た。

 

通訳の方にも、ゲイリーにも

それを見せていただいた。

 

こうやるんだ~ってマジで思えたんだ!

 

 

 

まる2日間、爆睡し続けたけれど

目的がこれだったのかもしれない。

 

本当に、自分が想定している目的って当てにならないよな。