ジーザスはコースの中で
「愛」「神」という言葉をたくさん使って
それ以外のものを教えてくれる。
これも無いもの、あれも無いものと。
そして
直接的なたとえの表現でうっとりさせてくれる。
反対に
ムージもパパジもあまり「愛」「神」という言葉を使わない。
愛を体現して、愛で対応してくれて、
直接愛でいちゃうんだよ
みたいに教えてくれる。
そしてルーミーやカリールは
詩を読むだけで愛に染まってしまうような直接体験をさせてくれる。
コースを軸とする中で、
ムージに意欲が高まることが時折ある。
そして何かが分かった気がするとコースに戻る。
するととてもコースが深くなって、もっともっとわかるようになる。
時には
なんとなくカリールに手を伸ばして
3行で涙が流れる。
するとジーザスが言ってる赦しってこうやるんだとわかる。
そしてやっぱり
前と違うものがわかる。
とても具体的な体験としてわかるようになる。
分かり足りないことだったり
頭でっかちになってもがいたりした時
こんなやり方でコースの実践を教えてくれることが、本当にすごい。
赦しっていう一つのことを
頭を使わせたり心を使わせたり、
無理矢理修行のような強い意志の訓練をさせたり、愛そのものを体験させて示したりと。
この多方面からのアプローチあってこそ、わかったことがたくさんある。
今日、フランセスさんのF Bの内容に言葉もなくまったくそうの通りすぎて、心からありがたかった。
「彼」の意志について行くことによって
「彼」の意志がわかるでしょう。
「彼」の愛について行くことによって
「彼」の愛がわかるでしょう。
ずっと暗闇が長い時
突然ルーミーに手が伸びて何かが溶けて
その後フランセスさんを読んだ。
なんだか今のミッョン完了したと感じた。
こうやって
長い暗闇に突然光が差す時がくる。
そしてまた次の暗闇に向き合って。
ついて行けば、こうやって絶対にわかると思う。
ついて行くのが嫌な時も
信じてついて行けば
必ずわかると思う。
ささやかな思い浮かびに見える時もあるし
無性に強く思う時もあるけれど
そうに違いない何かがあるならついて行くなら
絶対にわかる。
ムージ見ろって思ったらムージ見て
facebook見ようと思ったら見て
コースを書き写したいと思ったら写して
そんなこと言いたくないと思っても、言わなきゃいけない気がしたら言って
とすることがついて行くということだと
少しずつコツみたいにわかってきたかもしれない。
必ずその先で何かを得る。
赤ちゃんがやっとハイハイしてるみたいだな。
だから「嫌」って思いの時こそ
もっと勇気をだそう。
それでもついて行けば
必す何が受け取るものだったのかがわかる。
ほとんどは期待してたような結果にならないし、予測もしない結果になる。だからこそわかる。
予測もしなかった良いものを受け取ることになる。
「彼」について行かないと絶対にわからなかった。