最近は、占技の授業の内容が真理に関するものオンリーになることが多い。
占技の内容が進まなくなってしまうけれど、それでもいいから聞きたい、その話が必要だと言ってくれるのだ。
占技を使う目的はこの人生を豊かにするためではないし、私もそのために教えていない。
だから神の話を知らないままだと、自分が何に向かって生きて行ったらいいのか?どこへ向かって生きているのか?という疑問が自然湧くのだ。
それに、説明しないとつじつまも合わない。
そして話すと、大きく腑に落ちたり、納得したりする。
たとえまだ授業時間がたくさん余っていても、今日はこれで充分だ、大満足だ、と言う。
それでもその後に占技の話をすれば、ちゃんと神の話とつながりながら理解が進んでいく。
だから最近は、占いの授業として受けるのを目的としない人が多くなった。
月に一度の、必要な、楽しみな時間として来るのだ。
奇跡講座のカケラも読んだことがないのに、赦しのようなことをして、奇跡の体験を重ねている方もいる。
こうして、まったく触れたこともなかった神の世界の話について、私の話せる範囲で話をさせていただく機会に恵まれることが多くなってきた。
今日は、1対1での占技の授業が2回あり、どちらも神の世界についての話を求められることになった。
私は奇跡講座のマスターのように、コースの言葉をそのまま引用するほど覚えていない。
だから話せるのは、私が本当に理解したり体験した分だけ。
それを自分の言葉だけで話す。
なぜなら、引用するためにテキストをペラペラして頑張ると、どうも相手にピンとこないようなのだ。
ポカンとさせてしまう。
だからそれはやめた。
でも、私の心から出た言葉で真剣に話すと、とても届くようなのだ。
ホワイトボードに、図を書いたり、言葉を矢印でつなげたり、私の体験のイメージを書いたりしながら。
その時、自分でも驚くのだけれど
こんないい図が書けちゃった!
こんないい言葉で説明できた!
となる。
たった一つ図だけで伝わってしまうような...
私の案じゃないなーと実感するしかなくなる。
だってどうしてこんないい図が書けたのかと、自分でも不思議さを感じるからだ。
説明を聞いた方も、すごくわかりやすいと言ってくださる。
それに本は読めないけれど、これなら聞けるそう。
勧めたけれど、奇跡講座や、その他の本はどうしても読めないみたい。
そして今日、それぞれの方から「癒された」という言葉をいただいた。
癒された、本当に今無くなっている
と自分が苦しんでいたことが無くなったこと、先に進めることなどを、穏やかな安心した表情とともに伝えてくださった。
二人とも同じ言葉を使ってくれたこと、私はちゃんと受け取ろうと思った。
受け取る資格が無いと言うべきことじゃない。
私の中に神がいるからだ。
私は卑小ではなく、「神の前では謙遜であり、神の中では大いなるもの」なのだから、感謝して受け取ります。
それから、話させてくれてありがとうございます。
奇跡講座を読めばいいものを、わざわざ読まないで私に話させてくれている。私は自分で話しながら教えていただいている。
私は誰に話させてもらってるんだ?!
わからないふりをしてくれている、素晴らしい方達にだ!
🙏🙏🙏🙏🙏