私はきっと、ただ難しく考えています。

 

難しく考えたくて考えています。

 

わかっているのに、分かっていないと思っています。

 

 

 

ワークブックをやっていた時、

いつも朝は「訳が分からないな」と思い

夜になると「そういうことだったのか」となっていました。

 

そしていつも、

その「そういうこと」というのは

『主題概念には、ただ事実が書いてあっただけだ』

とわかった

というものでした。

 

まる1日もかかってやっとわかったことが

それが事実だとわかっただけという

なんとも滑稽な話です。

 

 

 

冷静に見ると笑ってしまいます。

 

ワークブックには

なんとはじめから答えが書いてあり、

それが答えと分かっていなかっただけというオチなんですから。

 

わけが分からなかったんじゃなくて

事実を事実として認めようとしていなかっただけ(笑)

 

 

 

だから、ワークブックをやっていて意味が分からないと思うなら、それは、分からないんじゃなくて、それが事実ではないと思っているだけということになります。

 

このまま神を遠くに設置しておきたいから、「まさかこの私が?ありえない!」とか「まだまだ!」を先に立たせて。

 

でもこのパターンが見えてしまったら、もうだまされたくなくなります。

 

最初から「納得できませんが、これが事実なのですね。ならそうなのです。」から1日をスタートしたくなります。

 

 

 

何か月も前に私の中に何度も浮かんできた

『旅は終わった』

という言葉。

 

どうしてそんな言葉が出てくるのか分からず、考えても意味が分からず、しばらくどうすることもできませんでした。

 

でもこれも単なる事実と受け止められた時、

「終わった旅を見ている」ことを

リアルに教えてくれているのだと

受け止めることができました。

 

そして「もっと良くしなきゃ、もっと改善しなきゃ」をたくさん振り落とすことができたように思います。

 

 

 

聖霊は、事実しか話していないんです。

 

生活の中でもテキストの中でもどこでも。

 

私たちがそれを事実じゃないという前提で聞いてしまうから、長引かせてしまうんです。

 

でも

「聖霊は事実しか話さない」

と覚えておけば、聖霊ではなく自分を疑うことができます。

 

そして長引かせるのを少しでもなくすことができます。

 

 

 

 

そして今 『私』 という言葉に再び向き合っています。

 

昔解決したはずなのに、また出てきました。

 

どっちのどの私が私だよー

みたいな混乱中です。

 

この『私』の感覚、

捨てる方の『私』とすればいいのか?

信頼する方の『私』とすればいいのか?

 

前は捨てる方ということでスッキリしたのに

どうやら違ったみたいです(笑)

 

聖霊は真実しか言わないから、きっと信頼する方ですね。

 

そういう方向で取り組んでみます!