「やってもらう」のやり方
「ゆだねる」のやり方
そういった
赦しについてのより具体的なやり方は
誰もが、わかっていくほど説明できなくなるのでしょう。

どんどん
口では言えない話になっていきます。

だからきっと
本やサイトで書かれているものなど
わかった人のものを読んでも
本当には読めていないんだろうとも
と思うのです。




それを書き手と同じくらいに理解したい。

そのための壁は
「どれくらい」それが強いリアルかを
心が実体験で感じられるかどうかだと思います。

言葉は素晴らしくあっても
深さだけは読み手にかかっているからです。




それで
ゆだねる、任せるということを私はなりに表現するならば

ゆだねもしないし
任せもしない

になっていっているように感じています。




任せてあるから
今さら任せようと思わないくらいに
当然にもうそうなっている

が私にはやりやすいのです。



ちょっと順番が逆なだけなのですが

起こってから任せるんじゃなく
すでに任せてあるから
なんちゃらかんちゃら、、、

と任せてあるという前提を
先に持ってくる。




それはこれをやってから
バカバカしさと共に思うようになりました。

ある時
こんなことを試したんです。




私たちは
当然のように人間だと思っています。




だから
あえてやってみようと。

「人間になろう!」って。

時間をかけてちゃんと真剣にやりました。




本当はもう神の子なのに
つい神の子になろうとか戻ろうとか
前向きに取り組む
何か自我パワーを使おうとしてるんじゃないか
と思えてならなかった。

そこから生まれた
苦肉の策です。





だからこれは
もう人間だと思っているのに
人間になろうとしているのと同じだ。

だったら
マジで「人間になろう」としてみたら
どれだけバカなことをしているか
実際に感じられるんじゃないか
と思ったのです。

だって唯一
もう人間だとは思えているんだから笑笑




そして結果は見事に
人間になろうなんてできませんでした。

やったらわかります。

当たり前すぎて無理なんです。

「もうなってる」
しか思えないからです。

人間になろう、戻ろうとするほど
頑張ってしまい
どうやって人間になったらいいか
どんどんわけがわからなくなりました。

それにとてもキツかった。





そんなことがあって
「なろう!なんて思わなくても
 もうそうなんだ」

「そうであることは変えられず
 やめることの方ができないんだ」

と強く思うようになりました。

もうそうなのに
それ以上なろうとするって
どれだけ無理で大変か。

「だって神の子だから」
を信じるんじゃなくて
無理矢理受け入れる
だって神がそう言ってるんだから
くらい受け入れちゃうことが
とても大事に思えてきました。




奇跡講座には
私たちは完璧な欠乏を知らない存在だと
たくさん書いてあります。

同時に
それをいくら頑張ってもやめられない
ともあります。




それがどれくらいやめられないかを本当に感じるには
「人間になってみよう」
と試すことは最適でした。





もしかするとこの考えも
まだ変わって行くのかもしれません。

でも今は
こうやっていってみよう。

違っていたら
また別のほを教えてくれるはずです。