今日別のサイトでブログを書いた。

 

とても心地よいまま書き終えた時というのは

その前に存在との近さを感じている時。

 

嬉しくて、気持ちよくて、

何かがあふれている時。

 

そして結局は

私から私へのお手紙のように思う。

 

 

 

私の星が星だから

誰かを幸せにするって

どうやったらいいか?

を悩み続けてきた。

 

 

 

そしてやっと

 

人を幸せにするためには
私がその人を安心して見ること。


その人を信頼すること。

その人を見る目の
前提ごと変えるってこと。

 

ということが分かってきて

少しずつできるようになってきて。

 

 

 

 

その効果が抜群すぎて

みんなが幸せに直行していくように感じることが多くなった。

 

実際は直行していない。

 

もともと幸せなのに

私が引き下げて見ていただけのこと。

 

 

 

 

それでも『効果』として奇跡を見るのは

今の私にはとても大切でありがたいことだ。

 

驚くほど速く

急に自信をつけ

幸せそうな顔をして

感謝の言葉を述べてくれる。

 

その瞬間

その間の私の心の姿勢について

合格点をもらったような気持ちになる。

 

 

 

 

相手を神聖な存在だと

思えるようになってきているのかもしれない。

 

驚くほど相手を疑っていない自分がいたりする。

 

そうでなかったら

こんなに相手が変わるはずない。

 

私の力でこれがなされていないことは

明らかすぎる。

 

 

 

 

奇跡講座はすごいな。

 

私の自覚がないうちに

何かが解体されている。

 

何が解体されたのかをよく考えようと思っても

もう今更見えもしない。

 

いくら探そうとしても

なくなっちゃったらしく見えないのだ。

 

 

 

 

そのブログに

「相手の視線の中に入る」

と書いた。

 

それを今考えている。

 

 

 

私は

ただこの世界の視線に入っちゃってるだけなんだ。

 

 

 

合わせて

「聖なる世界に身を置いてもいいよ」

と自分に許可を出せるようになってきた。


だから

聖なる世界の視線に入ってもいいよ

でもある。


おこがましさがずいぶん減って


この私が

まさか

いいの?

だったのが


そうしないと始まらないに変わってきた。




 

 

前は

「自我がこの世界から出る」

だったから相当苦しかった。

 

自我の力でここから出ようとしてた。

 

今では出口なんてないとも分かる。

 

ここ自体が無い。

 

出なくていい。

 

出ていく先なんてない。

 

ここのままだ。

 

とりあえずは

ここが思っているのとは違うんだから。

 

 

 

 

 

この体だって

無理やり脱ごうとしていたけれど

しばらく着ていればいい。

 

 

 

 

 

こうやって

『自分の前提』が少しシフトしていくだけで

赦しが楽になっていく。

 

『自我の世界にいる』前提としての赦しと

『聖なる世界にいる』前提としての赦しでは

大違いだと感じる。

 

 

 

 

自我の世界は

ダメダメ世界。

 

聖なる世界は

いいよ、いいよ世界。

 

 


 

 ここでは

「私はあなたの罪悪感です」

と名札を付けて立ってくれているものがたくさん見えるだけ。

 

それは

笑っちゃうほどバレバレのダサい名札。




それと本気で戦ってしまうけれど


でも必ず思い出させてくれる。

 

今まで一度だって

放置されたことはない。

 

もうだめだー

と思っても

何かが変わっていく。