私は占いを教えている。

奇跡講座をやっていて占いもやっててというのは、公にはちょっと恥ずかしくも思う。

もちろん
なぜ生まれてきたのか?
どこに向かえばいいのか?
の探求のためにこんなに10年も勉強し続けた。

途中から真理のための本や人にも出会い
コラボし始めた。

もちろん主体は神。
そして占いは道具。

自我の言うことよりも、なんとか神に沿った星の使い方をして、その言うことを聞こうとしたというのは奇跡講座前の練習にすごくなった。そのおかげをたくさん味わっているから、自分の中ではちっとも恥ずかしくないんだけど。

占いってなんかチンケな印象しか
世間にはないから。




まあそんなことはいい。




私は今日
占技を使って真理のことを考えた。

今年は『信念』という星がまわっている。

10年回る孤独の星の集大成の年でもある。

それが私の持つメインの星と
かなりのケンカ状態。




だから今年の入り口では

「今年は今ある信念をこってんぱにされるな。相当孤独感を味わうだろうな。どんな大切にした価値観も、当然くらいに持ってる自我の考えも切りさかれるんだろうな。それは望むところ。どんどんやってもらおう。きっとニューバージョンの信念を見つけるだろう。」

と思っていた。




そして実際
奇跡講座のおかげかこの星のおかげかが区別はつかないけど、見事にこってんぱにされている最中。

煮るなり焼くなり好きにして
と思えていたことは本当に救い。




それで今日
なんだか考えたくなって
信念の星の意味について改めて考えた。





この星は
守るという意味でもある。

信念も、頑固も、守るも
全部同じ意味ということだ。

安全のために
必死に自分で考えあげたものを頑なにやり続ける。

思いであろうが、やり方であろうが
もう無意識に。




それで色々考えて最後にわかった!と思ったことは、

私の信念を神にやってらえばいいんだ!

ただこってんぱに切られるだけじゃなくて

信念さえも神に任せるんだ!

守るも神にやってもらうんだ!

私は何も守ろうと考える必要はない。




まったく確かに
信念なんてない。

愛しかないのに
信念をどうしたらいいかなんておかしな質問。

でも、知らないうちに持ってしまう信念なくらいなら、神に作ってもらおうっていう意欲の方がよっぽどいい。




『自我が無くなったら在る』
は頭ではわかる。

だからただ無くなることの期待と共に
今年が始まった。

でも信念の構築までお願いするんだとは
思いも浮かばなかった。




そこまでも全部
神を信頼していいんだ。

どこかで
自分で神への信念を固めようとしていたと思う。

でもそれさえも
自分でできないしやらなくていいということで。




まさか占いを自我の直視に使うなんて、使えるなんて、数年前には思いもしていなかった。

無性に考えたくなって考える時
いつもこうやって何かを掴む。

ある星が急に気になったり
ある星の人ばっかり寄ってきたりもする。




聖霊は何でも使って教えてくれるんだな
といつも思う。

その人にわかりやすい方法や言葉で
ストレートに。

星見よう と思うことすらやってくれる。

ちゃんと聞く準備が整ったことを見計らったようにグッドタイミングに。




昨日『ジョー満月の月へ行く』を見て
大きな月を前にした時の「神の偉大さ...」
の言葉と映像で衝撃を受けた。

神はあの大きな月より大きくて偉大で
その大きさで愛されて
家へ帰って来いと導かれているんだから
私がレッスンにしろ赦しにしろ
何を失敗していると思おうが
そんなものは一瞬で消えるだろう

と思うと涙がたくさん出た。

何も心配いらない気がした。




だからきっと扉が少し開いて
星を考えた方がいいという声を
やっと受け取れたんだと思う。