皆さま、お久しぶりです。
清荒神の『風雷堂』の林明鏡です。
13日夜には大きな地震がありましたが、被害を受けられた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
大阪では揺れは感じませんでしたが、東京に住んでいる子どもたちは大きな揺れに驚いたようです。
幸いに被害はなくて安心しました。
日本国内どこに住んでいても地震の起こる可能性があるので、日頃から出来るだけの防災対策をしておかないといけませんね。(忘れがちになりますが)
防災グッズを点検して、必要な物を買い足そうと思います。
さて、皆さまは “木喰さん”(もくじき)をご存知でしょうか?
私は最近まで知らなかったのですが、木喰さんと呼ばれる遊行僧が彫られた木喰仏が、猪名川町にあるお寺「天乳寺」と「東光寺」にあると聞いて、先日拝見してきました。
✳️天乳寺と東光寺は前日までに拝観予約が必要になります。
「木喰仏」
江戸時代後期の遊行僧、木喰明満上人(1718〜1810年)が彫り遺した仏像のことです。
通称「木喰さん」と呼ばれています。
木喰明満上人は、45歳で木食僧となり、最期まで木食戒を守りました。
✳️木食戒とは、五穀(米、麦、粟、ヒエ、豆)や煮炊きしたものを絶ち、木の実や山菜、そば粉などを常食とする戒律のひとつで、この修行をする者を木食僧と呼びます。
また、56歳から日本廻国を行い、60歳を過ぎてから千体仏の彫像をはじめ、行く先々に仏像を遺していきます。
その生涯に歩いた距離は、北海道から九州まで全国2万キロにおよんでいます。
90歳の時、現在の猪名川町の地を訪れ、約3か月の間に精力的に仏像造りに取り組み、30体以上の木喰仏を彫像しました。
猪名川の木喰仏は、木喰明満上人最晩年の円熟した作品であり、いずれも親しみやすい微笑みを浮かべていることから“微笑仏”とも呼ばれています。
(パンフレットより転載させていただきました)
「天乳寺」は「道の駅 いながわ」から徒歩で五分くらいの所にありますので、まずは「道の駅 いながわ」を目指して行きます。
「道の駅 いながわ」は、地元の野菜や果物、お米やお花などが安くて新鮮で、人気の道の駅です。
「そばの館」で10割蕎麦のランチを食べてから、「天乳寺」へ向かいます。
こちらの御本堂の中に木喰仏が三体大切に祀られています。
「天乳寺」は寛永3年(1626)相誉上人によって開創。
ご本尊は阿弥陀如来。
他に如意輪観音像を安置し、昔はお乳がよく出るご利益のある観音様として庶民の信仰を集めたそうです。
ご住職さんが、三体の木喰仏について詳しく説明してくださいました。
真ん中にあるのが、木喰さんの自刻像です。
ニコニコして優しそうなお顔で、癒されます。
大きさは80センチくらいあるでしょうか?
まゆげと梵字と数珠は、木喰さんが黒く塗られていたそうですが、後から寺子屋の子どもたちの悪戯であちこち黒く塗られたそうです。
人々から身近で親しみやすい仏さんだったのでしょうね。
左側の徳大勢至菩薩立像と右側の聖観世音大菩薩立像のニ体は、一本の松の木から造られています。
木を縦割りにしてから彫っているので、背中合わせにするとピッタリとくっつくそうです。
全身は墨で塗られていて真っ黒です。
後ろにはこのように像の名前、完成年月日、自分の名前、年齢、花押(サイン)などが記載されています。
天乳寺では写真撮影🆗でしたが、東光寺では残念ながら撮影禁止でした。
次に「東光寺」へ向かいます。
こちらの古いお堂の中に14体の木喰仏が大切に祀られています。
その14体で、ひとつの世界が描かれています。
それは亡者の生前の罪を裁く冥界の世界です。
(パンフレットより転載させていただきました)
十王坐像群は、亡者の生前の罪を裁く冥界の10人の王を彫ったものです。
閻魔大王坐像はこの写真には写っていませんが、全然怖くなくて、なんだか可愛い感じです。
葬頭河婆坐像(そうずかのばば)は、三途の川のほとりで亡者の服をはぎ取るおばあさんです。
白鬼立像も愛嬌のある表情をしています。
木喰さんの晩年の作品の中でも最高傑作と評されているそうです。
また、境内の観音堂には樫の木に直接彫られた立木子安観音立像が安置されています。
お堂のカギを開けて中を見せていただきました。
「天乳寺」と「東光寺」の御朱印をいただきました。
道の駅でこんなお土産を買ってきました。
コロナが落ち着いて自由に旅行できるようになったら、あちこちのお寺にある「木喰仏」や「円空仏」を拝見したいです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。




















