数日前に直感が来ました。
「南へ行く」
え?
南、ですか???
早速「吉報位」というのを
調べてみました。
すると、六白金星の私。
今年は「南」が吉らしい。
それで、決めました。
「毎月、南へ出かける」と。
でも「南」と言っても
曖昧すぎて、どこが良いのやら?
まあ、この辺りは
「好み」に任せることにしまして。
最初は「大神神社」と思い
準備をしていましたが、
なんだか「ピタッ」と
来るものがありませんでした。
不一致がある、という感じです。
でも、これは
「遠いから面倒だ」という
私のズボラさがそう感じている、
のだと思いました^^
でも、やっぱり不一致。
で、当日(昨日のこと)の朝。
瞑想中にわかりました。
「伏見稲荷」だった!
そして、朝8時前に家を出て
9時すぎに伏見稲荷に着きました。
が・・
人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
いやだ、ここに来たくなかった。
もう帰りたいーーーーーーっ![]()
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着いた瞬間から
テンションが下がりまして・・・
一気に不機嫌になった私でした。
(これは、過去の写真です。
私は、不機嫌すぎて写真も撮ってません)
参道も人がいっぱい。
有名な鳥居は、人が多すぎる。
なのに、写真を撮る人がいて
先に進まない・・・。
もう、帰りたい・・・。
あーーもう帰りたい。
「直感に従って動いた。
でも、なんなのこれ?」
「あーー、イライラする」
「さっさと歩けよ!」
「朝から来るなよ!」
「こんなに人がいるのに
止まって写真撮るなよ!」
私の頭の中は、
こういう不平不満で充満。
あーーー
まじで、気分悪いわっ。
混雑する赤い鳥居の下を
歩いていたら
修学旅行生と肩と肩が
「ぽん」と軽く当たり
「あ、すみません」
と言ったのは
学生さんでした。
「・・・」
あれ?
なんか私って
めっちゃ自分勝手じゃない?
あのこ、悪くなくない?
あのこのせいじゃないよね?
なんで私
「ごめんねー」とか
「すみません」とか
言わなかったんだろう?
こんなふうに思うと
自分に腹が立ってきて
さらに気分が悪くなりました。
でも、頭の中では
直感に従って来たのに
直感に従って来たのに
なんでだ?
なぜだ?
なんでだ?
なぜだ?
こんなこと
ばっかりだったんですね。
それで手を合わせて
お参りしたとき
感じてみたんです。
そうしたら
「行動して、
気分が良くなることが起きる
と思うことは大間違い!
感じることから知ることだ」
と、返ってきました。
「感じることから知ること」とは、
「自分を知ること」だと解釈しました。
私の思い込みとして
「直感に従うこと=良いことがある」
というのがあったわけです。
これは、ある意味正しい。
でも、別の意味では間違いかな、と思います。
直感に従うことは、
「結果的に良いことにつながる」です。
私たちがイメージする、
「良いこと」とは違うということですね。
例えば、今回の例で言うと
直感に従って伏見稲荷へ行った
↓
奇跡的に空いていた
↓
なにもかも完璧だった!
↓
ラッキー
「あーやっぱりツイテル」
とはならず・・(笑)
直感に従って伏見稲荷へ行った
↓
バスが来ない
↓
電車に乗り遅れた
↓
予想外の激混み!
↓
不機嫌
「あ・・なんでやねーーん」
だったのですが
この「不機嫌さ」を感じること
これが「魂の目的」なのです。
家に帰った私は、
この時のことを「感じて」みました。
体感ワークを繰り返して
怒り
イライラ
することが減ったのですが
実はまだ
「火種」があるなと気づきました。
自分が自分に対して
「何か言いたげ」な感じがする。
けれど、それに気づきながら
向き合おうとしていなかった私。
そこにハッとしました。
自分の中から
響いてくる自分の声。
その声って
よーく耳を澄ませても
聞こえません^^
でも、
寄り添って
寄り添って
「聞き取る!」と決めて
聞こうとすると (←今ここ↑^^)
必ず聞こえます!
(自分に言ってる)
説明が難しいyo・・・・なんとなくイメージできますか?
最後まで読んでくれてありがとう!


