こんにちは。聖なる性を祝福する女神シモーヌえみこです。
ちょっと大学のレポートのようなタイトルになってしまいましたが、、
Facebookで興味深い投稿を見つけまして、今日のブログを書いてます。
なぜ夫婦のセックスレスや不倫がなくならないのか?
狩猟採集から定住を選んだ人類のジレンマに納得!
【「法」と性愛】
https://www.facebook.com/share/p/19zMdyWvSX/?mibextid=wwXIfr
※Facebook見れない方の為に文末に全文貼っておきます。
社会のルールに従い生きることの抑圧エネルギーを、対話や対処でなく、祝祭という命を燃焼させる場を作ることで昇華させていた先人の知恵。
社会生活というのは、今も昔も命にとっては不自然なんだろうね?
とは言え、今の時代、乱交もリスクが高いし、それを望んでる人も少ないと思う。
でも、まぐあいEXPOなら健全に繋がって命を燃やせる!
そこにいるみんなと、エネルギーでまぐあえる。
プログラムに載ってないけど、第二部の神輿の後に、あわびーずで「ちんぽの数え歌」という祭に相応しい歌を奉納させていただきます🤣
奉納というか、勃った、勃った(タッタ、タッタ)と繰り返す楽しくなる歌なので、みんなで歌いましょう♪
そして、そこから「せいしワークショップ」で、精子になりきってみんなで飛び回り、最後に「あまのわ餅つき」でまぐあって一緒に新しい命を生み出す。
何これ、完璧!
まぐあいEXPOは、現代にマッチした最高の祝祭じゃないか。
まぐあいEXPOも6回目。このような形のイベントは、もしかしたら最後かもしれないとのこと、、
いつか参加する!は来ないかもしれないよ。
9/23秋分に、思い切り命を燃やそう。
第一部はお気持ち制で入れますが、まぐあい✖️祭の第二部は一日チケットが必要です。
こちら、【法と性愛】全文です。
【「法」と性愛】bxパピー仙人さん
最近、
かつて「朝まで生テレビ」最強の論客
と称された社会学者の宮台真司さんが
とあるYou tubeチャンネルで
「法」と性愛
について語られていた。
「人類は農耕の発明によって
定住生活を始めるようになった
と一般には言われているけれど、
実は農耕というのは
定住を始めるよりもかなり
以前に発明されているから、
定住生活は農耕によって
可能になった
というのが正しいのではないか、
とのこと。
じゃあ、
定住を始めるきっかけは何だった
のかというと、
集団の中で
ルールやスケジュールに
従って生きる
ことの「決断」だった、と。
狩猟採集の生活よりも
農耕生活の方が
集団での協力が必要だったし、
この季節には、
こういうことが起こったら、
こうしなければならない
という「スケジュール」に
従わなければならない。
その代わり、
その集団のルールに従って
生活すると、
狩猟採集時代とは
比べものにならないほど
食糧の確保は安定する。
その「損得勘定」で
ヒトはルールに縛られて生きる
ことを「決断、選択」したことで
定住生活は始まった。
しかし、
自分の感情や良心にではなく
外側で決められたルールに
従って生きる生き方というのは、
ハッキリ言ってつまらない。
そのつまらない生活の中で、
ヒトが本能的に持っている
身体性や感情を解放する場として
「祝祭」、つまり祭りが生まれた。
普段は「かりそめの自分」として
集団のオキテに従って生き、
年に1度か、ないしは2度、
典型的には
豊作を祈る春祭り
収穫を感謝する秋祭り
では、日常のハメを外して
大騒ぎや乱交が繰り広げられ、
ヒトはそこで生命の息吹を取り戻した
ということらしい。
・・・
現代では、
リオのカーニバルや
日本のかなまら祭りなどで
そういうハメの外し方の名残が
あったり、
「祝祭」から形を変えて
関東では渋谷のハロウィン、
関西では阪神の優勝など、
ヒトはやはり、
ハメを外す場というのを
本能的に求めているのではないか、
と思う。
かつて、AVの巨匠、
代々木忠監督のもとに、
教師や銀行員といった
「お固い」職業に就いている女性が
AVに出演したいと志望してくる
ケースが相当数あったようだ。
「職場社会」で生きていると
自分が亡くなってしまいそうで、
という話だったと思う。
それは、
社会のルールに従って生きつつ
抑圧されたエネルギーを
祝祭の場で燃焼させるという
古代から受け継がれた知恵が
失われてきているという
ことではないか、と思う。
古代人は、現代人なんかよりも
はるかに賢明だったということだろう。
性というのは本来、
社会のルール、損得勘定の
外にある自然の営みなんだけど、
人間の「ルール化」の野望によって
「結婚制度」という枠の中に
タテマエ上は押し込まれた。
しかし、
ヒトの「性」なるものは本来、
そんなものに押し込められる
ようなシロモノではない。
性が社会の損得勘定の外にある
生身のエネルギーであるゆえに、
ルールによって認められた
部分にはあまり刺激を感じなくなり、
逸脱行為に魅力を感じるようになる
のは必然ではないか、と思う。
夫婦のセックスレスや
婚外交渉の横行というのは、
人間の、
ルールと身体性、感情との
付き合い方の中で発生している
ものなのだろう。
それは本能と社会との兼ね合い
の中で発生している根深いもの
なので、
付け焼き刃的な対処や
論理的説得的な対話で
なんとかなるものではない、
というより、
余計に話をややこしくしてしまう
のではないか、と思う。
対話や対処ではない、
祝祭的に命を燃焼させる場、
というのがヒトには必要
なのだろう、と思う。
最後に、栗本慎一郎氏の
「パンツをはいたサル」という
怪書(快書?)より。
「ヒトは、非日常的な瞬間に
より大きな陶酔を味わうために、
日常生活の中ではパンツをはき、
秩序を守り、労働に励んで、
性を遠ざけたのである。
・・・
日常的生活と非日常的生活の
両面の対立がなければ、
ヒトの社会は成り立っていかない
のである。
ヒトは、このように、
非日常的な瞬間にそれまでに
ためにためた過剰を一気に蕩尽
させるためにパンツをはくように
なった。」
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