前回からの続きです。
引き続き、私の心の動きを書いていきます![]()
栗城くんのことで、自分の気持ちに気づき、さらにこんなことにも気づいていきました。
私の人生のテーマは「自由」です。
いろんなものから自分を解放して、自由に生きること。
ブログのタイトルにも込めた想いです![]()
そして、人生は選択の連続だと思うのですが、実はその選択すら自由な選択、本当の選択は出来ていなかったと気づきました。
ようするに、不自由な人生だったんです。
本当の選択とは、どちらも選ぶことができた上で選ぶこと。
例えば、「京大には行きません」という選択は、
1、京大に行く
2、京大に行かない
このどちらも選ぶことが可能である必要があります。
ようするに、京大に合格して行ける状態であって、どちらも選べるけど、2の行かないを選択するというのは、自分の意志で、自由に選択しているということになります。
でも、京大に行けない(受けていない、不合格)状態では、
2の行かないしか選べない。1は選べないんです。
これでは、選択したことにならないんですよね。
この状態は、自由ではなく、不自由なんです。
まさに、私もこれと同じで不自由だったんです。
だって、
1、薬を飲む
2、薬を飲まない
私は、1の薬を飲むは選択できなかったんですから。
薬は恐怖で、飲むことができない。
だから、私には2しか選べないんです。
薬もこだわりなく飲むことができて、その上で飲まないというのは自由な選択、本当の選択だと思うのです。
これはもはや、薬がどうという問題ではなくて、私の固定観念、偏った価値観、トラウマ、ブロック、生き方、支配されてるの図。
私を生きにくくさせているものから、私自身を解放するために、ブログのタイトル通り「本来の私で自由に生きる」になるために、やはり、私はクリアしなければいけない部分なんだと、これぞブロックなんだとわかったんです。
こだわりは、自分を個性的に輝かしてくれることもあるけど、生き辛さを生むこともある。
恐怖で支配されているのなら、その支配から解放される必要がある。
薬に意味はなくて、そのアイテムをつかって、
私が恐怖や誰かの支配から解放され、他人軸で生きるのではなく、
私自身が本当の意味で自由な選択によって人生を創造するためだったのかと思うのです。
薬を実際に飲む、飲まないではなく、
その恐怖の支配から逃れて、自由に選べるようになること。
それが私には必要だったんだと、気づいたんです。
めっちゃ語ってますね(笑)
続きます。