三島神社だらけの地の三島神社巡りから

1ヶ月以上経ち、記事を書く際に

佐月地方にも一社

三島神社があることに気付きました

気付いたら行くしかないですよね

免許更新のあとに行って参りました

 

三島神社

2026年4月28日(火)参拝

 

みしまじんじゃ

住所:福岡県朝倉市古毛2678

筑後川と三連水車のある堀川用水に

挟まれた場所に鎮座しています

この辺りは小字が「三島」のようです

赤で囲った盃ぽい箇所が三島

 

社 頭

※電柱と電線は消しゴムで消しています

鳥 居

 

鳥居の扁額は山と鳥の「嶋」

 

手水鉢

 

鳥居の周りに

子供の頃よく見かけていた

コメツブツメクサが沢山生えていました

なつかしい~

猿田彦大神

 

銀杏の根元に祠の屋根

 

ムラサキカタバミが

彩りを与えてくれています

 

 

三嶋神社保存の碑

 

 

狛犬

 

三島公民館
拝殿ではありません
公民館の裏手に回ってみました

小さなお社がありました

 

社 殿

御由緒不詳

福岡県神社誌には無格社一覧に

載っていました

朝倉地区は無格社の神社がとても多いです

 

御祭神

大山祇命

 

福岡県神社誌 下巻(411頁)

 

『儺の国の星』に

三島に関する記述があったのでご紹介

 

博多湾から有明海まで南北に三笠(みかさ)、三原、御井(みい)三潴(みずま)、三池と揃った郷名が並ぶ

宮﨑康平氏(1917年~1980年『まぼろしの邪馬台国』の著者)はその由来につき解釈を進めておられたが、(つい)に未定稿となった。しかし、この着目は針摺瀬戸(はりすりのせと)(博多湾と有明海を太宰府付近[現在の筑紫野市付近]で結んでいたとされる古代の海峡)彼の云う二日市水道となって倭人伝の水行十日(博多湾岸の伊都国・奴国・不弥国(ふみこく)の倭人からの伝聞による短日表示。水路で10日かかるという意味)の解釈に大きく発展したのである。

昔、船人は荒れ狂う怒涛(どとう)疾風(しっぷう)のなかで、大声で叫び交わす緊急の符牒(ふちょう)(仲間内で通用する隠語、合図)に“三”は上下あるいは子午(ねずみうま)、南北の方向、“五”は左右、酋卯(とりうさぎ)、東西の方向、“四”はその中間の開(会)或は、契(稽)即ち北東、南西、または南東、北西、乾巽艮坤(けんせんこんしん)の方位を言った。即ち、三笠から御井・三潴を経て三池に至る一日行程の舟航は、海上駅逓(えきてい)の氏族が往来していたことになるのである。

(中略)

華南の閩人(びんにん)(14~15世紀に沖縄に渡来した中国人)は水先案内として日本に渡来した。Marco(マルコ) Polo(ポーロ)をして東方見聞録を書かしめ、Fernan(フェルナン) Mendez(メンデス) Pinto(ピント)をして放浪記を(あらわ)せしめ、さらには幾多の宣教師を導いた。これを倭人は三五(さんご)殿(どの)と呼んだ。戦場で星影を見ていく手を“三”とか“五”とか指図する故に欺くは名付けられたりと博多の網元が説いていた。

オリオンと三蓋星(みかさぼし)、或は三並星(みつなみぼし)三組星(みつくみぼし)などと称し、水師舟軍(すいししゅうぐん)(水上での戦闘)の守護神と(あが)めた。『九州治乱記巻一』異賊(いぞく)襲来(しゅうらい)元寇(げんこう)(もう)古襲来(こしゅうらい)など)の事の条には海路先導は伊豫(いよ)大三島(おおみしま)の三並大明神の名がみえる。

(中略)

夜須郡夜須町(現在の筑前町)に三並なる郷名が残る。かつて有明海の潮が(あし)木川(きかわ)(さかのぼ)って、この地まで(せき)上がっていたのである。オリオンはギリシャ神話に出る狩猟(しゅりょう)の神である。これがいつしか舟人の方見(かたみ)と変わった由来は、茫漠(ぼうばく)たる太陽の中で弓矢を以て海鳥を射落として飢餓を(しの)んだ歴史があったことになる。人を知らぬ信天翁(あほうどり)はいまは(わずか)に伊豆鳥島だけに棲息(せいそく)している。三嶋なる文字は日本書記巻三神武紀前一(前661)年及び巻十四雄略紀九(465)年に現れる。歳差から計算すれば、現在の太陽暦日を遡ること37日及び21日前であるから丑の日より数えると陽暦6月21日の夏至、および7月2日の半夏生(はんげしょう)の頃に暁光(ぎょうこう)に三連星がかき消される年であるから、何か閩人と近い氏族の伝説があったかもしれない。博多簑島(みのしま)に住吉宮が那珂川から遷座したのは天平9年(737)の頃であった。

草原の道、真珠(まだま)の道をたどって極東に移住した民族は夜空に(きらめ)く星の姿がただ一つの心の支えであった。星影は先祖が永遠にねむる故郷で仰ぎ見る姿と同じであるが、異郷の空では色が定まらぬ。とどまること幾歳月にして(ようや)く親しめる頃には、再び道の彼方をめざして進まねばならぬ運命が待っていたのである。異郷の星は又望郷の星でもあった。

(中略)

Orion(オリオン)を三島星、或は()(もろ)星とよんだはるか昔があった。“しま”或は“すま”とは船人の渇きを癒す湧水井泉(ゆうすいせいせん)のあるところであった。“し”は元来は透明な無色の水を表現する胡語(こご)(古代中国の言葉)であったが、倭人はこれに重ねるに“みす”を置き、清水なる詞を造成したものとみえる。

“しま”或は“ふくら”とは氷河の溶融(ようゆう)と共に潮が上がって海中に孤立した山巓(さんてん)(山の頂上)の集合であり、波を隔て絶つ浦があるところから、船の寄せ場を云った古語であって、絶海の弧島(ことう)(火山活動により形成された弓なりに連なる火山列島)を“ほし”と云う西洋東洋を通しての呼び名であった。神武帝(前660~585)の(きさき)媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)三嶋溝橛(みしまみぞくい)の家系である。三嶋も溝柞(みそくい)もオリオンの呼称であった。

(真鍋大覚著『儺の国の星』150頁~153頁)

※旧字、元々の誤字もなるべくそのまま文字起こししております

 

当社を調べていると

大小関わらず朝倉地方の神社193社

すべて載っているサイトを見付けました

三島神社も載っていました

恵蘇八幡宮の宮司様が担当されているようです

 

 

GoogleMapでも管理されています

よい取り組みだと思いました

 

先日、あさくら観光協会が発行している
フリーペーパーを見付けました
表紙は私の実家の氏神様です

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話は三島神社に戻り

鳥居をくぐる前から感じていましたが

社頭のあたりで甘い香りが漂っていました

白い花の咲く立派な木があります

Googleレンズで調べると

「橘」のようです

 

橘は常緑であることから「永遠」や「長寿」の象徴とされます。

日本に古くから野生していた日本固有の柑橘類で本州の和歌山県、三重県、山口県、四国地方、九州地方の海岸に近い山地にまれに自生する。近縁種にはコウライタチバナがあり、萩市と韓国の済州島にのみ自生する(萩市に自生しているものは絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)

静岡県沼津市戸田地区に国内北限の自生地が存在する。(Wikipediaより)

沼津と三嶋大社のある三島は割と近いですが

沼津の地名の由来が三潴の語源である

「水沼」と似ている気がします

 

“沼津の地名の由来とは❓

「富士山からの地下水によって沼地が多かった地形(「沼」)と、狩野川河口の港や海に面したなだらかな海岸線(「津」)が合わさったことに由来します。古くから「水の多い場所」として知られ、平安・鎌倉時代から「沼津」という呼称が使われていました

タチバナという名称は

田道間守(たじまもり)天日槍(あめのひぼこ)の後裔で、三宅連祖

現在は菓子の神・菓祖として

また柑橘の祖神としても信仰される)

に由来するとも、

神霊の顕現により農事の開始を(しら)せる

「立ち花」に由来するとも言われています

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橘を植えらえた意味があるのか

わからないけれども

実がなる頃にまた参拝に伺いたいと

思いましたキラキラお願いキラキラ